この記事を書いたライター

高木晋哉

高木晋哉

神奈川県横浜市青葉区青葉台出身。桐蔭学園高等学校出身。 早稲田大学教育学部国語国文学科に入学、三年次退学。 2003年4月、同級生であった池谷和志氏とジョイマンを結成、東京NSCに8期生として入学。 2013年、『ななな』(晩聲社、2013年)を出版。

2020年2月12日

『ななな』| ジョイマン高木の【キャリアの斜陽】第2回

ジョイマン高木-連載コラム第2回アイキャッチ

斜陽の陰には新たな光がうまれている。見方を変えればそれは新陳代謝ともいえる。沈みかけた時にどうするか?そこで人間の真価が問われる。

一発屋と言われながらも活躍を続けるお笑い芸人 ジョイマン高木氏。その日々は一見沈みかけたと思われるようなピンチが続く。しかし高木氏は沈まない。そんな高木氏のこれまで歩んできたキャリアを振り返る連載企画「キャリアの斜陽」。第2回は、ポエマー高木誕生のお話しです。

はじめに

はじめまして。ジョイマンの高木晋哉です。芸人を名乗るようになって17年。皆様の目に届く仕事からあまり届かないような仕事まで、多岐に渡る仕事をやらせて頂いてきました。

芸人の仕事自体も時代と共に移り変わり、出版関係でいえばネタ本やエッセイに留まらず、今では小説を出している芸人さんまでごろごろいる時代です。しかしそんな中でも、詩集を出している芸人は僕だけではないでしょうか。

誰も知らないとは思いますが、僕は2013年に『ななな』(晩聲社)という詩集を出させて頂いています。手のひらに収まるサイズの、小さな小さな詩集です。

無から生まれた『ななな』の原点

ジョイマン高木-連載コラム第2回イメージ1

頭の中に浮かぶ言葉を綴っていた日々

2013年。2008年にはあんなに真っ黒だったスケジュールが2013年には透き通るような白に染まり、月に何本かのライブや営業などで飢えをしのいでいた、そんな冬の時代。

世間への露出は殆どなく、自分の中で唯一のメディア露出と勝手に位置づけていたブログを細々と更新する毎日。唯一、自分が芸能人だと思い出させてくれるその大切なブログも正直行き詰っていました。

書くことが無いのです。ふと周りを見渡せばキラキラした仕事の話や華やかな芸能人との写真で賑わうブログの世界。自分にはその元になる仕事自体が無い。いったい何を書けばいいのか。

自分は世間の皆様に提供できるものをひとつも持っていない。しかしこの場所を失ってしまえばもう僕は何者でもなくなってしまう。そこで僕が苦し紛れに思いついたのは「頭の中」を書けばいいということでした。

手には何も持っていないけれど、人間なら誰でも頭の中には無限に渦巻く何かが広がっています。現実はひとまず置いておいて、頭の中で作る創作物ならブログのネタに困ることは無い。

僕は、ただただ頭の中に浮かぶ言葉をブログに綴っていきました。

その行為は鬱屈とした日々の独白のようでもあり、祈りのようでもあり、数年が経った今となっては何故こんな誰も救われないような暗い言葉を書き連ねていたのか自分でも理解できないようなものもあります。

しかし当時は「まあ誰も見てないしいいか」という開き直りの気持ちも正直あったのだと思います。エピソードトークのような内容ではなく、本当に頭に浮かんだ言葉をただ連ねていくので、だんだんと詩のような趣のものになっていきました。

書き始めた当初は絶対に周りから病んでいると思われていたと思います。確かに病んでいたのかもしれません。それはひょっとすると、自分なりに辿り着いたセラピーのようなものだったのかもしれません。

『ななな』で実現したひとつの夢

ジョイマン高木-連載コラム第2回イメージ2

切っ掛けはとある女性からの依頼

そんなある日。当時、毎月出番を頂いていた小さな劇場がありました。今はもう幕を閉じた渋谷にあったシアターⅮ(お笑いライブ専門の劇場)。そこでのネタライブ終わりに、受付のあたりでとある女性の方に話しかけられました。聞けば出版社の方で、僕が書いているブログを詩集として出版したい、とのことでした。

その出版社が出している書籍も大量に頂いたのですが、政治関係や北朝鮮への潜入ルポなど、とにかく確固としたジャーナリズムを持っている社会派の出版社でした。

そんな出版社がなぜジョイマン高木の詩集?という疑問は拭えませんでしたが、自分の本が世の中に出版されることは僕の中で一つの夢でしたし、打ち合わせを重ねるたびにとても真摯な思いを伝えてくれる出版社の皆様の熱意もあり、僕は出版を決めました。

当時もちろん僕はそんなチャンスを貰えるような位置にはいませんでした。そんな中、仕事が全く無くなり書くことのなくなったブログで「僕は書くことが無くなりました」という白状を始めたら、それが本になるなんて。久しぶりに人生は面白いと思いました。「仕事さん無くなってくれてありがとう」とすら思いました。

『ななな』で得たふたつの学び

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書籍出版という経験から学びを得る

確かにラッキーだっただけかもしれません。そういった苦し紛れのブログを書くことは、仕事を増やす努力とは程遠い、ただの現実逃避だったのかもしれません。

しかし僕がそこで学んだのは、自分が厳しい時ほど自分を大きく見せたりせずに正直でいること。

男性は特にプライドが邪魔して難しいものですが、素直に負けを認められる柔らかさは、ある程度年齢を重ねてからいつの日か魅力になると思います。天才は別かもしれませんが、人間の出来ることはある程度限られています。

そしてやはり、いつでも僕の夢を叶えてくれるのは自分ではない誰かのおかげです(少なくとも僕の場合は)。

もう一つ学んだことは、自分は何も持っていないと思ってしまうような時というのは、出来ないことばかりに目が行きがちですが、何が自分に出来るのかも普段より見えやすいような気がします。

僕にとってその出来ることというのは、白状することでした。

火の車だった自分の芸人人生から少し距離を置き、燃え盛る炎を克明にデッサンすることでした。舞い上がる火の粉。天まで伸びる黒煙。火の車に乗っていた時には気づかなかった、離れて見た時の炎の罪深い美しさ。

もしかしたら詩集を出版してくれた出版社の方は、自分自身に切り込むジャーナリズムとして僕の詩を捉えていたのかもしれません。

そんな炎のデッサン、2013年に出版された詩集『ななな』、2020年現在まだ500冊ほど在庫を抱えています。皆さまどうぞ宜しくお願い致します。

ジョイマン高木さんの連載一覧(インタビュー含む)

連載コラム第1回:
『一発屋の陽は沈まない』連載開始にあたり | ジョイマン高木の【キャリアの斜陽】第1回
インタビュー前編:
一発屋の光と影。「サイン会0人事件」を乗り越えて
インタビュー後編:
「大丈夫だよ、意外に」どん底で見つけたポエムというJOY

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神奈川県横浜市青葉区青葉台出身。桐蔭学園高等学校出身。 早稲田大学教育学部国語国文学科に入学、三年次退学。 2003年4月、同級生であった池谷和志氏とジョイマンを結成、東京NSCに8期生として入学。 2013年、『ななな』(晩聲社、2013年)を出版。

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