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北 堅太

北 堅太

なんでも書きたい系ライター。シーランド公国男爵。本とアナログレコードを買いあさることで、今日も生きのびている。なんとなく、インタビューの仕事が多めです。

2019年7月31日
フロンティアスピリッツ

フェスオーガナイザー 古川陽介 / りんご音楽祭を手がけるDJ兼クラブオーナー

近年ますます盛り上がりを見せる音楽フェスティバル。数も増え、全国各地でさまざまなフェスが開催されている。そんな中で、ご当地フェスの代表格として知られるのが、長野県松本市はアルプス公園にて毎年9月末に開催される、「りんご音楽祭」だ。11年も続く、長寿フェスである。

そのりんご音楽祭を主催しているのは、なんと個人。松本でパーティーハウス「瓦RECORD」を営む古川陽介氏だ。音楽業界やイベント企画の会社に頼ることなく、ひとりで仲間たちを集めて立ち上げた。今回はDJとしても活動する古川氏に、音楽祭開催に至るまでの経緯や、現在の仕事内容をうかがった。

DJから始めた音楽活動。高校生でテクノを知る

アルプス公園にてこれまでを振り返る

子どものころから音楽が好きだったという古川氏。小学生の頃は放送委員を務め、給食の時間に音楽を流していた。また、自分の好きな音楽をテープに入れて友人に渡すことも多かったという。

「今から考えてみれば、DJみたいなことは小さい時から元々やってたんです。もちろんその頃はDJなんて知らないんですけど。高校生になってからは、レンタルCDショップでバイトを始めました。閉店から開店までの間だったら好きなもの、何を持って帰ってもいいと言われていたので、クラシックと演歌以外、AからZまで全部聴いたんですよ。テレビからの情報もあり、その頃テクノというジャンルに出会いました

その後、インターネットで調べてDJやレコードの存在を知ることに。高校生のうちから渋谷は宇田川町へ行き、レコードを集めるようになり、大学生になって山梨から松本に移ってからは、松本や東京のクラブで本格的にDJを始めた。DJネームはdj sleeper

取材当日も雑貨店のレコードに興味津々

DJっていうものを知った時、自分で『これだ!』と思ったんです。子どもの頃は運動神経が良い人、頭が良い人、話が面白い人がもてはやされるなかで、自分にも何か得意なことがあるはずだと信じてたんですね。そんななか、DJなら活躍できると。」

子どもが生まれた今でも週1回以上はDJプレイをするという古川氏。まさにDJは古川氏に合った、天職だといえるのではないだろうか。

ひょんなことから自分のクラブを持つことに。瓦RECORDの出発

瓦RECORD店内に貼られたりんご音楽祭の過去ポスター

大学時代からDJとしてせわしく活動していた古川氏だが、学校の講義でもすばらしい出会いがあった。

「1年生の時に受けた『社会生活とコミュニケーション』という授業があるんですけど、ゼミでもなんでもないのに年次が上がってもみんなで集まるような授業で。その授業の教授がおもしろい人で、その先生を慕ってみんが集まるんですよね。教授が大学をやめた後も学生たちみんなで教室を借りて、特別に授業をしてもらってました。週3回くらいのハイペースで会っていましたよ」

そうなると問題は、飲み会に行ってお金がかかること。かなりのペースで集まっているから当然だろう。3年生になった古川氏らは、安く済ませるために30人ほどでお金を出し合い、場所を借りることに。教授の紹介で松本の古民家を借り、語り合う喋り場として集まるようになった。

「でも数ヵ月もすると、5人くらいにまで減っちゃって。たまり場としても飽きてきたから次は何やろうかって話になって、僕がレコード屋をやってみたかったんで瓦RECORDというレコード屋になったんです」

そのような経緯でレコード屋として出発したのだが、古川氏の好奇心はそれにとどまらなかった。店はすぐに装いを変えることになる。

「1年後、京都のFANTASIAというパーティーを体験したことがきっかけとなり、防音工事を施した瓦RECORDはクラブとして再出発しました。クラブなのに『RECORD』って名前になっているのはそういう経緯があるんですよ」

フロアの様子

DJ活動と並行し、大学生の頃に始まった瓦RECORDの経営。こちらも現在まで16年間続いている。当時の松本での古川氏はDJとクラブ経営と大学生の3足のわらじ状態だった。

東京で音楽に道を定めた。やっぱり音楽に注力したい

音楽に道を定めるまでを語る

3足のわらじ状態の古川氏だったが、わらじは更に増えることになる。

「それまで通っていた信州大学から、新しく中央大学の法科に編入したんです。パズルや数学の公式が好きだったんで、社会の仕組みである法律にも興味があって。その頃は松本を離れて1年間東京に住んでいました。中央大学は通信制だったので、昼は会計事務所で働き、夜は税理士の専門学校に行っていました。

もう興味があることが多すぎて。もちろん週末は松本に戻って瓦RECORDを運営していました。休めるタイミングは移動時間だけという状況です」

中央大学の法科はレベルが高く、ついていくので精一杯だった。税理士の専門学校も同様だった。どちらもひとつに定めて本腰を入れないと、それを仕事にできるような甘い世界ではなかった。

「これは続かないぞ、無理だなってなって。どれか1本に絞らないといけない。でも音楽はやめられない。音楽をやめるという選択肢はなかった。どっちかというと欲張って音楽以外にも手を出していた状態で。だから他は全部やめて、松本に帰って音楽だけをやろうと思い立ちました。親に言ったらびっくりして倒れちゃいましたけどね」

紆余曲折の末、松本に帰ることになった古川氏。2009年1月のことだった。その年の9月に初開催されたりんご音楽祭まで、あともう少しである。

アルプス公園を使いたい。初めてのりんご音楽祭

本番はアルプス公園内の小屋も楽屋や運営本部となる

松本市民の憩いの場であるアルプス公園。広い敷地内に遊具や小さな動物園まで充実しており、子どもから大人までがよく訪れる場である。

「松本へ帰って、4月にアルプス公園に来た時、ここでフェスを開こうって思いついたんです。朝霧ジャムでコアスタッフを務めたり、サマーソニックでDJをしたりと元々フェスは好きで関わっていたし、DJやクラブ以外でも音楽に関わる仕事をしたいと考えていたところでした」

その日のうちに公園内で、偶然にも公園の管理会社のスタッフを見かける。古川氏が声をかけてみると、ちょうど会社の方でもイベントを開いてみたいという意見が出ていたそうだ。先方がレゲエ好きということもあり、話は盛り上がった。

「アルプス公園は市の持ち物なので、そちらとの交渉になりました。よく整備された公園で、イベント用に作られたものでもない。前例もない。なかなか個人で借りられるものではありませんが、なんとかフェスは開催できることに決まりました」

出演者とともに、思い思いの格好でフェスを楽しむ人々

友人や知り合いの大工に協力をあおぎ、設営や当日の切り盛りのめども立った。アーティストのブッキングも順調に進んでいった。ところが、開催直前にトラブルが発生する。

「諸事情で有料チケットを売れないことになってしまって。公共の公園を使ってのイベント開催はなかなか難しいところがあります。その年は仕方なく急遽市内の別会場も用意して有料の公演も用意したんですけど、やっぱり赤字になっちゃって」

古川氏は、一気に数百万円の借金を背負うことになってしまった。

りんご音楽祭を毎年開催。最初の失敗もはねのける

2度目の開催をしない理由がなかった

興行的失敗があっても、古川氏は決してあきらめなかった。

1日20時間364日働いて、借金を返済しました。どこへでも遊びに行っていた僕がどこにも顔を出さなくなったから、死んでいるんじゃないかと勘違いされたりもして。顔色も悪くなってしまったりして本当に大変でしたが、翌年2010年の9月末に返済が済む見通しになったので、10月の開催を夏から宣言して準備を始めました。

返済は無事9月の最終日に終わり、翌日の10月1日から公園の中でも使用場所を変え、今度は有料チケットを売ってりんご音楽祭を開くことができました。当日まで誰も本当に開催されるなんて思ってなかったみたいですけど。でも、あんなに大変だった1回目に協力してくれた人の気持ちに報いるには、続けて成功させるしかないと思ってました

古川氏はなぜそこまでしてりんご音楽祭の存続にこだわったのだろうか。古川氏が考える音楽祭のあり方に、その答えは潜んでいるのかもしれない。

「当時は大規模な商業フェスしかなくて、とにかくハード。東京からの移動距離も長いし、アウトドアの服装をしなければいけない。今はそうじゃないですけど、昔は特にファッショナブルなアウトドアウェアも少なかったですから。

だから普段クラブに遊びに行っているような子がそのまま来れるような、楽に遊べるフェスがあってもいいんじゃないかなって。環境への対応が楽になれば、音楽に集中もできますし。」

たしかにアルプス公園は道も舗装が進んでいるので、女性がヒールで来ても問題がないほどだ。公園までは駅や街中から車で15分ほどと野外フェスの中では格段に近い。東京から車や電車で2時間半ほどで来られるので、アクセスもいい。

手軽なフェスを開催するには、松本・アルプス公園は絶好の場所だった。東京から近い松本に、同時代のライブハウスやクラブシーンを持ち込む。それが古川氏のゆずれない想いだった。

開催中は、公園が姿を変える

結果的に2年目も赤字となってしまったが、その額は前回よりも少なかった。古川氏はまたも借金を返済して、3度目を開催する。幸いなことに3度目にして、ようやく黒字を出せるようになった。以降毎年、大雨に降られることもなく、りんご音楽祭は成功裏に開催が続いている。

「3年目にはスチャダラパーさんが出てくれました。それから1年目にも出てくれたレイ・ハラカミさんが出演することになっていたんですが、直前の夏にお亡くなりになってしまったんです。その年にハラカミさんが出演する予定だったフェスが残りふたつあり、そのひとつがりんご音楽祭ということで、ファンの人がたくさん来てくれました。今のりんご音楽祭のイメージが出来上がったのもそのころからですね」

全国から気の合った仲間を呼ぶ。りんご音楽祭のあり方

大事なことはともに遊べる仲間づくりだと設営中のステージで語る

そんなりんご音楽祭を開催するにあたって、古川氏の毎年の大きな仕事がブッキングだ。そのために、1年間、全国を駆け巡る。

「毎年4月から数か月間全国でオーディションとパーティーを開催して回っていて、5月にはキックオフパーティーも開いています。そのために全国各地の場所をおさえるのが大変で、準備は前年の11月くらいからになるんです。3月には前年のオーディションのグランプリを決めて、音楽業界の様々な方と若手を盛り上げる『ゴーゴーアワード』というイベントも開催してます」

オーディションの数は全国10都市以上、合わせて60回ほどになる。各地でよいライブを行うアーティストの卵を見つけ、りんご音楽祭に出演してもらうためだ。このオーディションから「水曜日のカンパネラ」「CHAI」「Tempalay」「THREE1989」などが過去に参加してきた。

また、オーディション以外でも、古川氏は各地のライブハウスやクラブに足しげく通っている。そこでも気に入ったアーティストには声をかけ、りんご音楽祭に出演してもらうことが多い。

「りんご音楽祭を始めた当初の10年前の話ですが、フェスで大手事務所の若手ばかりが売り出されたりするのがつまらないなと思って。その時々のライブハウスやクラブで実力や人気のある人が呼ばれないのはおかしいなと思ってました。

僕はフェスもライブハウスもクラブも好きだけど、フェスに出るようなアーティストとライブハウスやクラブで活動するアーティストが違ったりしてたので、ライブハウスやクラブに通う人たちがフェスにあまり来てくれてなかったんです。

りんご音楽祭のラインナップは偏ったように見えて今の音楽シーンの現場感を反映しているとは思います。だから普段ライブハウスやクラブで遊んでいる人も来てくれて、そこからフェスに興味を持ってくれたりします」

ベテランミュージシャンでも、フィーリングの合う人しか呼ばない。アーティスト以外でも、たとえばフードコーナーの出店者もトークライブの出演者も、古川氏が各地の現場で出会った人ばかりで固められている。

古川氏が認めた「本物」の現場感が体験できるからこそ、りんご音楽祭に人が集まるのだろう。今では1日に5000人弱が集まるという。

多くのファンが訪れるイベントになった

フェスは祭りだから、アーティストもスタッフも、一緒に祭りをしたいと思う人しか誘わない。そのノリに共感してくれるお客さんが集まってくれるんだと思います。僕もとっても楽しんでるし。仕事は楽しくないと長い人生で続かないと思うから、絶対に楽しんだり、楽しみを見つけたりする努力はするべきだと思う。どんな下らないことでもいいんですよ。」

今年もりんご音楽祭には多くのアーティストと多くのスタッフが参加する。全員、古川氏が全国各地で出会ってきた、一緒に祭りを盛り上げられる人たち。どんな2日間になるのか、今から楽しみだ。

取材後記

取材中も常に笑いの絶えなかった古川氏。記事に書き切れないことも、たくさん聞かせていただいた。取材もふくめて仕事を楽しんでいるからこそ、多くの仲間が集まってくるのだろう。

取材時に一番印象に残ったのは、公園で設営作業中のスタッフたちと古川氏の楽しげな会話だった。

もちろん楽しいことを仕事にするには、ただ待っているだけではダメだろう。古川氏はクラブやフェスを立ち上げたり、各地のライブハウスに出かけたりと、行動派である。

夢は、努力すら楽しみながら追い続けるものだと教わった気がした。

古川陽介さんの紹介

東京生まれ、山梨育ち。大学時代からの活動拠点である長野県松本市でクラブ「瓦RECORD」のオーナーを務めながら、dj sleeperとしても活動。2009年、26歳で「りんご音楽祭」を初めて開催する。以降現在まで毎年開催を続け、秋を代表するフェスとなった。活動は松本にとどまらず、現在沖縄にも「瓦RECORD」の姉妹店「on」を展開。

古川陽介さんのリンク集

【りんご音楽祭】

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