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北 堅太

北 堅太

なんでも書きたい系ライター。シーランド公国男爵。本とアナログレコードを買いあさることで、今日も生きのびている。なんとなく、インタビューの仕事が多めです。

2019年9月5日
フロンティアスピリッツ

俳優・アーティスト 坂東工 / 芸は一代を貫く表現のチャレンジャー

俳優・アーティスト坂東工/芸は一代を貫く表現のチャレンジャー

恋愛リアリティ番組、バチェラー・ジャパン。今月からはいよいよシーズン3が配信開始。動画配信サービスのオリジナルコンテンツの中で、今もっとも人気を博しているといってもいいのではないだろうか。

そこで毎シーズン司会をつとめているのが、坂東工氏。俳優である。俳優なのだが芸能活動のほかにも、アーティストとして芸術作品をつくったり、映画俳優の衣装をつくったりと多彩。最近ではiiwii(イーウィー)というオンラインミュージアムを立ち上げ、若手アーティストの紹介にも積極的だ。

司会業からアートまで。今回はその活動スタイルと氏の半生を取材した。そこで見えてきたのは「表現者」としての真摯な姿勢だった。

大学卒業後アメリカへ。紆余曲折を経て俳優業と出会う

俳優・アーティスト坂東工にインタビュー

自宅兼アトリエで半生を振り返る

物心ついた時から何でも自分でやっていた。それが坂東氏の原点だ。

「小さいころから一人暮らしをしていて。10歳、11歳ごろからずっと働いてたんですよ。新聞配達をしたり、八百屋を手伝ったり。住まいも安定しておらず、東京だったり横浜だったりでジプシーのような生活ですよ」

氏の独立心を育てたのは、幼少期のこのような体験だったのだろう。時が経ち大学卒業後、単身ニューヨークへ渡米した。現地の日本人コミュニティに所属しながらもどこか煮え切らない。自分はこのままでいいのかという思いから、子どものころのようにアメリカ各地を流れるように旅することに。心の中で忘れられなかったのはニューヨークで知り合ったダンサーだった。

本当に一回一回命を燃やすように踊っていて、彼女を見て初めて表現というものを間近にした感覚になりました。僕の当時の恋人だったのですが、彼女は本当に命を燃やし尽くして亡くなってしまったんです。それがわかったのが旅が終わってサンフランシスコに着いた時、そろそろ定住しようと思っていた時でした」

俳優・アーティスト坂東工(取材風景)

アメリカ時代には採掘への興味も沸いた。樹の化石を説明する坂東氏

宿泊したモーテルで見つけた演劇学校の生徒を募集するポスター。身心ともに疲れ果てていた坂東氏は「とにかく体を動かそう」と入学を決意。彼女を追うように、自身も表現の道へとキャリアを進めることになった。24歳の時だった。

「American Conservatory Theater(ACT)という名だたるハリウッド俳優を輩出している名門校でした。2年間英語も何も勉強してこなかったので地獄でしたね。いきなり即興芝居をさせられるんですけど、英語のわからない観光客役くらいしかできず、ネタもどんどん尽きて泣いてましたから。まあ本当についていけず悔しかったので1日14時間も勉強して。半年後には一番上のクラスまで行けました。ネイティブでないアジア人としては初めてのことだったようです

努力のかいあって卒業を果たした坂東氏。当時の教師の勧めでニューヨークへ戻り、今度はその地の演劇学校に通うことに。生活費と学費、ビザ代を稼ぐためウェイターのバイトをこなしながらのことだった。

ニューヨークに帰ってからはパフォーマンスグループもつくりました。生音、演出なし、振り付けなし、リハーサルなしのぶっつけ本番で踊る。それまでダンサーをやったことがなく心は不安なのですが、人間って追いつめられると何か出すものですね。出して出して出し切って、亡くなった彼女と邂逅(かいこう)するような感覚になりながら失神するまで踊り続ける。表現者として自分も燃え尽きるようになりました。僕の最初のパフォーマンスの体験といっていいでしょう」

学校やパフォーマンスグループでの経験が活きてきたのか、俳優としての仕事も徐々に増えてきた。スチール撮影、CMや学生映画への出演などを依頼されるように。俳優として初めてお金を手にしたのが26歳のことだった。

勝負をかけたオーディション。『硫黄島からの手紙』で燃え尽きる

俳優・アーティスト坂東工(取材風景)

当時の苦労も今なら笑顔で話せる

アメリカのCMは当時、1州につき1度放送されるたびに数ドルの出演料が振り込まれる仕組みだった。やがて数多くのCMに出演し、全国区で流れるCMも多数あった坂東氏には、相当の収入があったという。しかしそこには悩みもあった。

「やっぱり使い捨てなんですよ。どこまで行っても自分の名前が出ない。役も単なるアジア人。はと気づいたら侍、忍者、寿司シェフ、ラーメン屋みたいな役ばっかりやっていて。こんな仕事を僕はずっと続けていくのか、これでいいのかという思いがありました」

そんななか、転機が訪れる。大御所監督、クリント・イーストウッドによる『硫黄島からの手紙』(2006)のオーディションに参加する機会を手にしたのだ

「当時流行っていた『ラスト・サムライ』も『SAYURI』も日本を描いた映画でしたが、アメリカでの日本人オーディションがなく、ずっと悔しい思いをしていて。初めてニューヨークでキャスティングのオーディションをしてくれたのが硫黄島だったんです。よし、この機会にCMは全部やめよう。エージェントにもそのように伝えていたし、既に居酒屋でのバイトもやめていたし、お金も自分のパフォーマンスグループにつぎ込んでいたので本当に背水の陣」

全身全霊をかけて挑んだオーディション。キャスティングの担当者はイーストウッドと長年組んできたフィリス・ハフマン。彼女とカメラマン、読み合わせに参加するリーダーと呼ばれるスタッフ3名の前で演技を見せた。

「僕の番が終わり、部屋から出た瞬間、フィリスが『ワォ!』といっていた。後でそんな話をリーダーから聞きました。最初のオーディションの1週間後、またその1週間後にも呼ばれ、ついにエージェントから『役をゲットしたぞ』と報告の電話が。その瞬間、もう歓喜の雄たけびですよね」

そこで得た役こそ二宮和也演じる主人公、西郷が所属する部隊の中隊長。渡辺謙らと絡みながら、物語中盤では重要なシーンも演じる。スクリーンに強烈な印象を残した。坂東氏自身にとっても、日本語で初めて演技した思い出深い映画である。

クリント・イーストウッド監督と坂東工

『硫黄島からの手紙』撮影時、クリント・イーストウッド監督との思い出の一枚

「撮影の頃にはフィリスは亡くなっていて、これが彼女の最後のキャスティングになりました。息子のマットがそれを僕に伝えてくれて、なんというか因果を感じながら撮影を続けていたんですけど。芝居的にはまだまだ未熟でしたが、この時の演技以上にソウルを出すことなんかできない。それは今見ても感じるものがあります」

迫真の演技で自分の奥底にあるソウルを出し尽くした坂東氏。それは生活に支障が出るほどのものだった。

「死ぬシーンを演じた後、言語障害になっちゃって。本当の自分も死んだんです。しばらくのあいだは3行の台詞を覚えられないくらいに脳がパニックになりまして。それを克服するのには結構時間がかかりましたね。まさに燃え尽きるかのように演技をした結果だと思います」

日本への帰還。偶然の出会いからアーティストに

俳優・アーティスト坂東工の作品

左の靴は20代前半のころにつくっていたもの

『硫黄島からの手紙』というハリウッドのトップ映画に出演を果たした坂東氏。好演もあってアメリカでの大きな仕事の依頼も増えてきたが、なんとここで日本に戻る選択をする。帰国は2007年。契機はこれも硫黄島だった。

「パフォーマンスグループにいると、ダンサーよりも僕の方がどうしても目立ってしまう。演技の仕事も現地の日本人俳優のなかでは多い方でした。つまりソウルで勝負していた自分に自惚れていたんですけれど、硫黄島の撮影中に衝撃を受けました。この人すげえ、この人には負けたっていう人がいて。それが加瀬亮さん。加瀬さんには台詞も動きもなんにもないシーン、カメラも僕に向いているっていう時に、ふっと見ちゃうんですよ。岩でもありながら台風でもあるというか、静と動のエネルギーに魅せられてしまうというか。こんな人が日本にいるのなら、今僕はアメリカにいることはない、日本に帰ろうと決断しました」

帰国して心機一転、日本の俳優陣とオーディションで戦う生活に。「日本人」というパーソナリティは通用しない。忍耐強く俳優活動を続けていたある日。中目黒を散歩しているうちに、あるギャラリーに目がとまる。偶然出会ったその店に立ち寄ったことが、アーティストとしての創作活動のきっかけとなった

「自分でほしいものを自分でつくるってことを当時からしていて。僕が自作の革の腰巻きをつけていたら、オーナーの女性が『あんたそれ何? わたしも欲しいんだけど』と声をかけてくれました。名刺交換をしたら僕の名刺裏の文章と、相手のお店の名前がともにバックミンスター・フラー(※1)という思想家の作品からとられていることがわかり、意気投合しました」

俳優・アーティスト坂東工(取材風景)

後ろに見える作品が東日本大震災に影響されて制作した『生きる』

京都で大学の教授もしていたその人物。2011年、彼女が新しい店を出すことになったので、坂東氏もアーティストとして参加、いくつか作品を持ち寄る。坂東氏の作品は1週間で売り切れるほど人気に。オーナーの勧めにより、東日本大震災に影響されて新たな作品も制作し、個展を開くまでになった。こうして、革と石を中心とした坂東氏のアート制作がスタートしたのだ。

※1 リチャード・バックミンスター・フラー(1895年7月12日 – 1983年7月1日)は、アメリカ出身の思想家、デザイナー、構造家、建築家、発明家、詩人。

出会いは続き、衣装制作に進出。芸は一代、常に挑戦

俳優・アーティスト坂東工(取材風景)

『西郷どん』で渡辺謙が着た衣装。坂東氏の革へのこだわりがうかがえる

「個展には衣装デザイナーの黒澤和子さんもいらしてくれました。作品を気にいってくれて、僕は服なんかつくったこともないのに、”今度仕事振るわ”と。映画『真田十勇士』のために衣装を何着か制作したら、いきなりアジアンフィルムアワード衣装美術賞にノミネートしたんです。嬉しかったですね」

衣装制作の仕事は続き、映画『忍びの国』では鈴木亮平の衣装を、大河ドラマ『西郷どん』では渡辺謙の衣装をそれぞれ担当。役者の仕事のほかに、司会業、アート、衣装制作とさまざまな仕事を並行して続けるようになった

やったことないことをやってみることが好きですね。バチェラーの司会業も、衣装制作もそう。そして自分でつくりあげるところから始めるのも好きなんです。バチェラーの司会のキャラクターも、スタッフの中でもまだ何も決まってないところに僕が提案してつくりあげましたし、衣装もデザイナーのスケッチを元に着想を膨らませてつくっています」

俳優・アーティスト坂東工(取材風景)

石や革のほか、角も愛してやまない素材である

俳優も司会業もアートも衣装制作もすべて表現という点では変わらないという坂東氏。今から振り返れば俳優もアーティスト、創作活動を始める前からアーティストではあった。その上で大事にしているのが新しいことへの挑戦という、常に前向きな姿勢なのだ。

「芸は一代。従来の型どおりにこなすより、これやってみたらおもしろいよね、こんなのなかったよねっていうのがモチベーションになりますね」

アート業界に変革を。新しい美術館、iiwiiの立ち上げ

俳優・アーティスト坂東工(取材風景)

iiwiiに展示中の坂東氏作ディスプレイ什器

挑戦の姿勢はとどまらない。同じアートの分野でも、今度は製作者ではなくキュレーターに。今年の6月にはオンライン美術館、iiwiiを立ち上げた。そこでは坂東氏の作品のほかにも多数の若手作家の作品を見ることができる。iiwiiと検索すれば誰でもアクセス可能な民主的な美術館だ。特筆すべきポイントはブロックチェーンの仕組みを使っていること。

「ブロックチェーンのシステムっていっぱいあるんですよ。ありすぎて日本でも5人くらいしか全体を理解してないくらいですし。そのシステムを本格的に入れ込もうとしたら数億円でも足らないくらいの費用がかかる。でも初歩の仕組みは比較的簡単に導入できる。iiwiiにおけるブロックチェーンとは、わかりやすくいうとAさんがBさんからものを買うと、処理が発生してお金が落ち、記録にも残るというものです」

つまりアーティストからすれば、一度作者本人の手を離れた作品の売買記録も確認可能となる。今誰がいくらで買っているかを作者は把握できる。さらに記録は投資家の目にもオープンな状態だ。クローズドな場における不当な金額での売買を封じ、客観的に作品にどの程度の価値があるかをはかることができるのである。

また、作品の真贋についても心配の必要がなくなる。本物の作品を誰が所有しているかが記録としてわかるからだ。いわばiiwiiというシステム自体が証人となり、専門家の鑑定いらずで本物を見分けて買うことができる。

そしてなおかつ売買が発生するたびに、金額の一部がアーティストに還元されるという、アーティストにとってもファンにとっても公平な仕組みとなっている。ここには坂東氏のアート業界への思いが反映されているようだ。

「個展を開いて作品を売るというのは、場所を借りるのにお金を払い、売れても手数料が引かれるという二重苦なんですよ。結局売れたって作者には20%くらいしかお金が入らない。これってこだわりを持って、じっくり制作しているアーティストにとっては不公平じゃないですか。しかも売れていけば売れていくほど、我が子のような作品が今どこにあるのかわからなくなる。これってとても悲しい。アーティストのそんな悩みを、iiwiiは解消しようとしています」

記録として価格の推移が見えれば、まだ無名のアーティストでも、その作品の評価の伸びが誰にでも見える。手数料の仕組みで収入も安定する。iiwiiという取り組みで坂東氏は、世界にはばたく若手アーティストを支援しているのだ。あなたもぜひ一度サイトを覗いてみてほしい。作品が360度3D展示してあるなど、美術館としても純粋に楽しめるはずだ。

俳優・アーティスト坂東工の作品

ビデオ通話越しのモデルを描いた絵。現代の技術を活かしたアート活動を行っている

「先日はiiwiiの作品を集めてニューヨークで展示会をしました。今月は御茶ノ水美術専門学校で、学生たちと展示会を行います。オンラインでもオフラインでも、アーティストが丹精を込めたアートに触れる場が増え続ければいいなと思っています

取材後記

坂東氏から学べることで最も重要なのは「とにかくやってみること」ではないだろうか。今までやったことがないことに果敢に挑戦して、成功をおさめる。そしてその成功に満足せずに次の舞台に立つ。このような姿勢を持った成功者を「センス」や「才能」といった言葉で片付けるのは早計な気がする。どんな人も最初は初心者。だからこそ型にとらわれずに自由なチャレンジができるかもしれないのだ。

坂東工さんの紹介

俳優・アーティスト坂東工(取材風景)

俳優、アーティスト。バチェラー・ジャパン全シーズンに司会進行役として出演。 マーティンスコセッシ監督『ディパーテッド』に出演後、クリント・イーストウッド゙監督『硫黄島からの手紙』にてメインキャラクター・谷田大尉役にキャスティングされる。

アーティスト活動は2011年に始動。初の個展に 2000 人以上を動員。 2015 年、作品が衣装美術家・黒澤和子の目に留まり、映画『真田十勇士』の衣装を制作。同衣装はアジアンフィルムアワード衣装美術賞にノミネートされる。現在は自身の制作活動のほかに、オンラインミュージアムiiwiiなどを手がける事業家としても活動している。

坂東工さんのリンク集

アーティスト・Khayah (画家)
アーティスト・Takuro Okuda (ドール・アーティスト)
iiwii展示会

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北 堅太

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