この記事を書いたライター

飯森雅子

飯森雅子

ファッション分野を手掛ける広告制作会社のアカウントプランナーを経て、フリーに転身。自身で編集長としてWEBメディアの立ち上げに加わり、国産のプロダクトや伝統工芸について執筆。近頃の興味分野は女性のワークライフバランス、朗らかに生きる術など。うつくしい小鳥を溺愛して暮らす、重度の文房具マニア。

2019年9月12日
ミレニアルズワーク〜未来と直面する世代のワークスタイル

ファッションデザイナー・精神科看護師 津野青嵐 / 人との関わりから生む個の表現

津野青嵐/ファッションデザイナー・精神科看護師

デザイナーとしてファッションの分野で国際的な評価を受けつつも、その枠にとらわれない創作活動を探し求めて努力し続ける。一見、華やかに見られがちな業界での矛盾と戦う若き才能が考える、自分が模索する「今後目指す道」とはなにか?

今回はヨーロッパ最大のファッションコンテスト「ITS 2018」で日本人唯一のファイナリストに選ばれ、ファッション分野で新たな取り組みをしているデザイナーとして注目される津野青嵐の原動力とその眼差しに迫る。

長野の自然から歌舞伎町の異世界へ

津野青嵐/ファッションデザイナー・精神科看護師

静かな神社へ行くと生まれ育った土地を思い出す

津野青嵐氏は長野県で幼少期を過ごした。飲食店を営み忙しい両親に代わって祖父母に育てられ、のどかな自然の中で遊んだという。その中でも多くを過ごしたのが近所にあった大きな神社だった。

「当時は無意識だったけれど、御神体の山の麓にある神社が遊び場で。ボロボロの神社というか、ひなびた感じですごくいいところでした。あとはひとりで近くの川で水浴びしたり、そんな田舎で育ったんです」

いまでは日本屈指のパワースポットとして有名になってしまったそうだが、昔は静かな場所だったという。そんな場所が身近だったと気付いたのは大人になってからだ。

「私は、装いについて興味を持つきっかけの一つに、世界の民族衣装がありました。中でも本来の姿がわからないくらい大きな衣装や頭部の装飾に惹かれ、調べていくとそれらは儀式などでお祈りとして使用された、いわば神や祖霊といった見えない世界と交信するための媒介になっていると気づきました。

装いの中でもそういう神秘性に惹かれてしまうのは、育った故郷の空気感が影響しているのかなと思ったりしました」

ファッションデザイナー津野青嵐の作品

幻想的で浮遊感を覚える作品

津野氏の代表的な作品に見られる、拡張されたボディラインや、解放されつつある魂のようなディテールは、どこか非日常を感じさせる。

そんなのびのびとした田舎暮らしから一転、新宿に引っ越すことになる。津野氏にとってもこれは強烈な体験だったという。新宿の猥雑さ、その異世界めいた環境の中で彼女はなにを感じていたのだろうか。

「小学生だった私は、ホームレスの人をサンタクロースだと思っていました。少し世間からはみ出している、そんな空気感が気になっていて。長野にはなにもなかったから、新宿のなにもかもが新鮮だったのだと思います」

特に新宿歌舞伎町の強烈なイメージ、その周辺の入り組んだ世界観は彼女に大きな影響を与えた。

ユーモアに救われた体験と人を楽しませる喜び

津野青嵐/ファッションデザイナー・精神科看護師

幼少期の思い出は祖父母と暮らした長野の景色

津野氏のものづくりへの興味は幼少期から培われてきたものなのだろうか。そんな疑問を彼女にぶつけてみると、意外な答えが返ってきた。

「子どもの頃から、ぼーっとしていました。なにも考えていなかったから、なにもできなくて。あまり覚えていないけれど、ただ、工作だけは褒められた記憶があります

おじいちゃんが工作が好きな人で、家を改造して遊園地みたいにしてたんです。地域の子どもが遊びに来られるように、子どものために遊具を作ったり。そんなものづくりが好きなおじいちゃんがいたから、自然と自分も工作は好きだし、小学校低学年で唯一、親に褒めてもらえたことでした」

祖父母と暮らした幼少期は少なくとも彼女の心を豊かにしてくれていたのだろう。おっとりとした子どもながら、好きなことをわずかながらも掴みつつあったのかもしれない。

そして、転機は渋谷の小学校に3年生で転校したときに訪れた

「普通転校生ってなかなか環境に馴染めないものじゃないですか。でもその小学校は違っていて、クラス全員がとてもひょうきんだったんです。転校したその日からみんなギャグとかを見せてくれて、すぐに受け入れてくれました。

6年間を同じクラスで一緒に過ごしていくので、家族みたいな空気でした。そこで価値観が変わって、何よりも“面白い”ことが一番大切なんだなって

クラスの明るい環境は津野氏を感化し、変えてくれたそうだ。以来、積極的に「面白い」ことにチャレンジし、人前に立つようになった

「お笑いダンストリオを作って、歌とダンスとギャグの出し物をやっていました。お知らせも作って、子どもたちやいろいろな人に来てもらって。学校でも楽しいことにはみんな本気で取り組んでいて、急に表現やみんなで作り出すことが楽しい、という意識が芽生えました

この気付きで、彼女は人に喜んでもらうのが好きになったという。小学校3~6年生までの3年間は、濃密で一番心地よい時間になった。

表現することへの憧れと看護師という選択

津野青嵐/ファッションデザイナー・精神科看護師

さまざまな文化に興味を持つ津野氏

中高一貫校に進学した津野氏は、その期間を「あまりパッとしない時期だった」と語ったが、中学の頃から徐々に自分らしい世界観を掴み始めるようになる。

「中学の頃は、寺山修司やつげ義春などの70年代カルチャーに興味を持ちました。アングラカルチャーや、ゴシックも好きで、そういう世界観がミックスされた美学に行き着いたと思います」

これらのカルチャーに触発されて、彼女は「自分を表現すること」に憧れを持ち始めた。その後、進路を決める段階になって津野氏はある岐路に立つことになる。

「大学に進学しようと決めて将来を考えたときに、美術系にも行きたいけれど、生物学にも興味があったんです。でも思ったような結果が出せなくて、大学進学を見直すことになりました。

親には手に職をつけろと言われて。看護大学で資格を取ったらどうかという話になりました。一回も考えたことはなかったけれど、半ば無理やり入学して」

看護学校での生活は、決して充実した日々ではなかった。自分自身が看護に対して誠実ではない気がして、どこかでコンプレックスめいたものを感じていたという。

津野青嵐/ファッションデザイナー・精神科看護師

白塗りの装いをしていた津野氏

「正直なところ苦手な女社会や、奉仕の精神の志を持っていない自分はここにはいちゃいけないんじゃないかと思うこともあって。そういったストレスや抑圧から本来やりたかった表現が表出して、白塗りやヘッドドレスを始めたんだと思います。

看護とか、女性像に入れない、食い違ってしまう自分のバランスを取るためにやっていました。決してネガティブではなくて、ただ楽しかったんです」

人のためより、自分の表現を取ってしまう自分を「いやらしいですよね」と彼女は笑った。ただ、この先の出会いがそんな彼女を大きく変えることになる。

患者さんとの出会いで繋がった看護とファッションの表現

津野青嵐/ファッションデザイナー・精神科看護師

自分と社会との距離感を語る

3年生の時にいろいろな科を実習で回った時に津野氏が感じたのは「他人や、患者さんへの不安」だった。自分が一般的な感覚からはみ出してしまっているようで怖かったという。

そんな彼女の不安に寄り添ってくれて、安心感を与えてくれたのが精神科だった。

「初めて精神科に足を踏み入れたとき、直感的に居心地がよかった。みんな独り言をつぶやいていたり、人形と話してたりする……すごい独特な人がいるけれど、空気感が和やかで不思議な世界だったんです。そこは脅威に感じなくて、自分になじむというか、妙な安心感を抱きました」

津野氏は精神科の患者さんと関わりを持って対話していくうちに、自分なりの看護への気づきを得るようになった。独特の世界観をもつ患者さん達をもっと知りたいと感じたという。

「今は精神看護とは自分とは異なる他者を理解していくプロセスの面白さが魅力だとおもっていますが、そのプロセスの中で逆に自分自身について知っていく仕事だとも思っています。

学生時代の実習で、患者さんと話す中で自分が揺らぐような体験をし、それまで考えてこなかった事を見つめはじめ、こんな面白い働き方があるんだって興味を持ち始めて。そうして働いてみたら、奥深い魅力を感じました」

精神科看護師のファッションデザイナーという肩書きを謎めいていると捉えられがちな津野氏だが、精神障害の患者さんと純粋に関わっていきたいと考えているからこそ、必然的に看護師を続けたのだという。

そんな彼女がデザイナーになったのは、白塗りやヘッドドレスなどの「過剰な装い」をしていた自分の、表現への関心を具体化する技術を手に入れるためだった。

「作品は患者さんにインスパイアされたわけではなくて、あくまで試行錯誤して作っていく上で出来上がったもの。デザインとして一番面白くて新しい見せ方を考えたかったというのが結局のところベースなんです」

ファッションデザイナー津野青嵐の作品

見せてくれたのは3Dペンで作られた靴

そう語ってくれた津野氏に看護師からデザイナーへと転身したときの決意について聞いてみた。

「そんなに大きな決意はありませんでした。ファッションの仕事が忙しくなったこともあったからですが、病院を辞めたことで、精神科との関わりがなくなるわけではなく、むしろ看護師の枠を超えてもっと自由な形で関わっていけると思いました」

患者さんと関わった時間が、それまでの人生において一番濃厚で重要な時間だったと語る津野氏。その思い出や体験が、落ち込んだ自分を励ましてくれるという。

デザイナーとしての作品作りには、見たことがないようなものを見てみたいという好奇心が強くて。3Dペンの可能性に気づいたときにはとてもワクワクしました」

ファッションデザイナー津野青嵐の作品

3Dペンで制作された津野氏の作品

「それが思った以上に注目されて、思ってもみないことでした。自分としてはそこまで大げさには考えていないのですが、いろいろな側面があるうちの一部が受け入れられたのかなと考えています」

その作品の独創性から、3Dペンのデザイナーとして有名になった彼女だが、その背景やもっと奥にある熱意が伝わらないもどかしさもあったという。ファッションに取り憑かれていると言ってもいいほどの情熱にかられていた彼女だが、世間の注目を集めたことで落ち込んだこともあった

「映画を見ても作品を見ても感動できなくなってしまって。それでも、考えたり思い出したりすると、自分の中心で何があっても揺るがないものは病院時代に出会ったある患者さんとの体験だったんです。彼の何がそこまで自分を強く感化させるのか、人に伝える事が難しいと感じます。

彼との実際の関わり、対話から受け取った全てのものです。言動、表情、佇まい、生活スタイル、歩まれてきた人生、精神障害を取り巻く社会的な背景など、それらすべてが合わさった複雑な情景で。簡単に説明できないけど、いつでも思い出せば私を奮い立たせてくれる大切な人です」

現在の津野氏は、地域の精神疾患の方が通う作業所にも通っているという。

作業所では通所しているメンバー自身の大切にしている体験や対象のイメージを、ファッションの観点から考え、手を動かして表現していく実験的な試みを行っているそうだ。

メンバー自身の体験や大切にしているイメージを他者に伝えるために、言葉ではなく、絵を描いてもらったり、さまざまな質感を使ったコラージュなど、いろいろな方法で表現してもらうワークショップをしていました。

例えば、常に自分に攻撃的な言葉を話しかけてくる幻聴を持つメンバーに、その声の主を表現してもらったり。言葉で聞いていた怖いイメージと相反して、チャーミングな表現をされていたりして、幻聴に対してこちらが想像していた恐怖や不快のイメージとは違う、愛着や敬意、信仰心といった複雑な心情が垣間見えました。

看護師としてだけでなく、デザイナーとして精神の現場にかかわる初めての機会だったので、自分のスタンスに迷いながら模索していたんです。

メンバーの持つ体験やイメージを、一緒に表現していくプロセスを通して、本人と受け取り手の中に新たな視点や思いがけない発見が生まれる事に大きな魅力と、未知の可能性を感じています。精神科の患者さんの表現と、それを知ったときの自分の変化、対話の中で生まれる気づきをもっと高められるようになりたい」

精神科看護とファッション、現実に揺られつかんだ理想に向かう

津野青嵐/ファッションデザイナー・精神科看護師

彼女の真摯な姿勢が垣間見えた

福祉の精神を原動力にしているわけではないから、誤解を招きかねない自分の感覚や行動を伝えるのは難しい、と語る津野氏に、仕事に対してどう考えているのかを尋ねた。

「好きなことを仕事にする。そういう考え方は、できればそれが理想だなと、みんなそうであればいいなと思います。ただそれは生活とか家族とかが負担になることだって絶対にあるし、優先順位や時間のリミットもあるし。そこは自分の決意と環境と、縁かなと」

そう語る彼女の眼差しに、成し遂げようとしている未来への真摯な姿勢が見えた。

自分の考え方だったり、目標としている思想が反映されるような仕事をして、進んでいくような働き方をしたい

その方法を常に模索している津野氏。作ることでなにができるか、3Dペンを使った作品作りにこだわることなく挑戦をしていくという。

「今後、実は10月から北海道に移住します。とある精神障害の当事者のための歴史ある施設に働きながらリサーチしに行く予定です。

そこでは日本の精神福祉の最前線であるアプローチが行われているので、実際に現地で当事者の方と関わりながら学びたいと思っています。

もちろん、制作も続けます。そこでの学びから、今までとは違うアプローチでファッションを感じる新しい作品を制作したいと考えています」

将来は患者さん達と一緒にメゾンをやりたい、と語る津野氏。医療の現場にいたからこそ、医療からのアプローチではない、精神障害を取り巻く環境の中に新たな在り方を見つけていってもらいたい。

取材後記

今回の取材では、好きなことはどんどん仕事として挑戦していい、そう言い切ってくれた津野さんのすがすがしさが印象に残っています。

それでも環境や状況に阻まれることがある、だからこそ決意も必要だし、縁もある。津野さんならではの言葉ではないでしょうか。

津野さんとのお話の中では、誰もが自分らしくあっていいのだという気づきがありました。これからの活躍を楽しみにしたいと思います。

津野青嵐さんのご紹介

津野青嵐/ファッションデザイナー・精神科看護師

1990年長野県出身。精神科看護師として5年間働きながら、山縣良和氏主宰の「ここのがっこう」でファッションを学ぶ。3Dペンを駆使した緻密な作品で2018年欧州最大のファッションコンペ『ITS』にて日本人唯一のファイナリストに選出された。

津野青嵐さんのリンク集

Twitter:公式アカウント
Instagram:公式アカウント

仕事のことで誰かに相談したいと思ったらジョイキャリアお悩み相談へ

この記事を書いたライター
飯森雅子

飯森雅子

ファッション分野を手掛ける広告制作会社のアカウントプランナーを経て、フリーに転身。自身で編集長としてWEBメディアの立ち上げに加わり、国産のプロダクトや伝統工芸について執筆。近頃の興味分野は女性のワークライフバランス、朗らかに生きる術など。うつくしい小鳥を溺愛して暮らす、重度の文房具マニア。

関連記事
おすすめ記事
人気ライター
TOPへ戻る