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白鳥純一

白鳥純一

行政書士、宅地建物取引士などの傍らで、細々と執筆業を続けている。インタビューや堅めのコラムが中心なのだが、なぜかメジャーリーグでの取材実績もある。これからは徐々に海外も視野に入れて活動していく予定。

2019年10月24日
ツワモノたちのセカンドキャリア

経営者 初瀬勇輔(株式会社ユニバーサルスタイル・株式会社スタイル・エッジMEDICAL代表・元視覚障害者柔道日本代表)絶望からデュアルキャリアの成功を掴む

初瀬勇輔(株式会社ユニバーサルスタイル・株式会社スタイル・エッジMEDICAL代表・元視覚障害者柔道日本代表)

視覚障害者柔道の選手として2008年の北京パラリンピックにも出場された初瀬勇輔氏は、株式会社ユニバーサルスタイル、株式会社スタイル・エッジMEDICALの2社で代表を務めるなど、ビジネスマンとしても活躍されている。

今回は、2つのキャリアを歩む初瀬勇輔氏に、これまでの人生やキャリアについてインタビューした。

柔道と出合った中学時代。文武両道で過ごした青春

初瀬勇輔(株式会社ユニバーサルスタイル・株式会社スタイル・エッジMEDICAL代表・元視覚障害者柔道日本代表)

初瀬氏は「大人しい少年だった」と、幼少期を振り返る。

「小学生の頃は、図書館で本を借りて読んでいるような子だった」と話す初瀬氏が柔道と出会ったのは、中学1年の時だったとのこと。

「小学校高学年の時に空手を好きになったのですが、進学した中学校には空手部がなく、道着と黒帯がある柔道を仕方なく始めたという感じです。最初は、受け身の練習ばかり。畳を叩くだけだったので、退屈だったことを覚えています」と、当時を振り返る。

その後も柔道を続けた初瀬氏は、「良い成績だとは思っていない。後悔しながら引退した」と語るものの、高校2年で県の強化選手に選出、高校3年では県内3位の成績を収め、県内有数の進学校で「文武両道」の青春を過ごした。

緑内障で視野喪失。絶望の中、柔道と再会

初瀬勇輔(株式会社ユニバーサルスタイル・株式会社スタイル・エッジMEDICAL代表・元視覚障害者柔道日本代表)

充実した生活を送っていた20代前半。視野喪失という絶望が襲った。

その後は柔道から離れ、弁護士という目標に突き進んでいた初瀬氏に、危機が訪れたのは、23歳のとき

「浪人生だった19歳の時に視野が欠ける緑内障によって右目、23歳で左目も悪くし、視野を失ってしまった」という初瀬氏。当時のことをこう振り返る。

「言葉で言い表せないくらいショックでした。それまでは同じレールを歩いていたみんなと引き離され、努力では頑張りようがない世界に引き込まれてしまった。周囲の支えもあって、なんとか大学には行きましたが、正直『死んだほうがマシかな?』と思ったこともありました」

絶望のどん底で「何をしたらいいか分からない」日々を過ごす初瀬氏。周囲の人が就職先を決めていく中、進学後の予定が何一つ決まっていない。自分だけ遅れていることに焦りもあった」という初瀬氏に転機が訪れたのは、24歳の時。友人のアドバイスがきっかけだった。
    

初瀬勇輔(元視覚障害者柔道日本代表)

久々にはじめた柔道が、初瀬氏の人生を大きく変えることになった

何も予定がないところに、いきなり『柔道』という選択肢が出てきたので、『ひとまずやってみようかな?』と川越の道場に足を運びました。でも、目が見えないことを忘れさせてくれて、メチャメチャ楽しかったです。

パラリンピックの柔道は、組んだ状態で始めること以外は健常者の柔道と変わりがないので、それが良かったのかもしれません。

当時は、毎日謝り続けるばかりの日々にうんざりしていたんです。例えば、誰かに『目が見えないので切符を買ってください』と頼まないと電車に乗れない、とかですね。そんな自分に絶望する日々の中で、自分でもできることが見つけられたのは本当に嬉しかったです」

スケジュール「白紙」の大学生が、突然日本代表に

初瀬勇輔(元視覚障害者柔道日本代表)

自分の「居場所」を見つけた初瀬氏、柔道選手としての道を一気に切り開いた

「練習をはじめてすぐに全国大会があったんですが、そこで優勝して、人生が一気に変わりましたね。”白紙”だった人生に、世界選手権代表、アジア大会代表、大会に向けた強化合宿と、柔道選手としての予定が組み込まれるようになりました。この年の全国大会には、偶然にも今の天皇陛下(当時は皇太子)も来られていて、優勝者だったボクは陛下と直接お話させていただく機会も頂戴しました。前日までは卒業以外は何も決まっていない大学生だったのに、普通ではない経験をさせていただいて、すごいことになってきたと感じました」

北京パラリンピック代表に選出。感じた「日の丸」の重み

初瀬勇輔(元視覚障害者柔道日本代表)

北京パラリンピックに出場した初瀬氏。「国を背負う」重みを感じさせられた瞬間でもあった

「当時のパラリンピックは、今よりも注目度が低かったので、オリンピックと同じ会場でできる大会くらいの認識で北京に入りました。

でも、実際に開会式に参加してみると、10万人の観衆が拍手喝采で迎えてくれて。大会に参加できることのありがたさや重みを感じました。日本代表としての誇りも、この瞬間に生まれたような気がします。試合にはメダルを取ったフランス人選手に1回戦で敗れてしまいましたが、あの時に感じた『ずっと試合をしていたい』感覚は、今でも忘れられません」

困難な就活から見つけ出した夢

初瀬勇輔(株式会社ユニバーサルスタイル・株式会社スタイル・エッジMEDICAL代表・元視覚障害者柔道日本代表)

「障害者」として苦しい就職活動を乗り越えた経験が、現在にも繋がっている

「柔道として日本代表に選ばれた2006年頃、『もう一回、就職活動にチャレンジしてみようかな?』と思ってエントリーしましたが、120社にアプローチをして、面接してくれたのはたったの2社でした。

そのうちの一つ、テンプスタッフ株式会社(現パーソルテンプスタッフ株式会社)の特例子会社で、知的障害のある社員のマネジメントを5年間させていただきました。さまざまな障害のある方の働き方を知ることが出来て、本当に勉強になりましたね。

障害者になってしまった自分が就職で苦労したことや、障害者のみなさんと一緒に働かせていただいたことなどもあって、『障害者の仕事を作る仕事をしたい』という想いもあって2011年に独立し、株式会社ユニバーサルスタイルを立ち上げました」

テンプスタッフグループ在籍中にアスリート支援制度の立ち上げに貢献

初瀬勇輔(株式会社ユニバーサルスタイル・株式会社スタイル・エッジMEDICAL代表・元視覚障害者柔道日本代表)

2008年当時のパラ選手の競技状況を語る。

「ボクが北京パラリンピックに出場した2008年頃は、パラリンピックを目指すほとんどの選手が、遠征は自費が当たり前。有給を調整して試合に臨むという状況でした。

そのようななかで北京の出場枠をかけた大会出場が決定したので、『何とか大会期間中も給料を出してもらえないか?』と、会社にお願いしたのが最初です。

会社初のアスリートということで、大会出場前の勤務を時短にしていただいたり、遠征やトレーニングにかかる経費を会社が負担してくれたりとか、スポーツ支援制度を作っていただきました。現在見られるような支援制度の先駆けといっても良いかなと思います」

初瀬氏が考える「デュアルキャリア」について

初瀬勇輔(株式会社ユニバーサルスタイル・株式会社スタイル・エッジMEDICAL代表・元視覚障害者柔道日本代表)

かつてのパラ選手は、多くが「デュアルキャリア」を歩んでいたとのこと。ご自身の実体験を踏まえ、語っていただいた。

では、初瀬氏はデュアルキャリアをどう考えているのだろう。

「これは、スポーツ選手全体に言えることですが、いつかは選手生活を終えることになるわけですし、引退後に『どんな自分になりたいのか?』という理想を思い描いておくことは必要だと思います。

キャリアを積み上げながら競技に取り組むという『両立』も、個人的にはメリハリも付くので良い選択だと感じています。

パラリンピックのアスリートは、比較的ベテラン選手でも活躍できる傾向があるので、そのぶん引退も遅くなります。スポーツ選手は、目標に向けて着実に積み重ねることができるので、ビジネスにも適していると思いますが、40歳で引退して初めてパソコンを使うような状況だと、実際にはなかなか難しい部分もある。そうならないようにする準備は必要だと思います」

社長としての初瀬氏が語る障害者雇用の未来

初瀬勇輔(株式会社ユニバーサルスタイル・株式会社スタイル・エッジMEDICAL代表・元視覚障害者柔道日本代表)

障害者を切り口に、多様性のある社会に向けて持論を展開する初瀬氏。

株式会社ユニバーサルスタイルの社長としても活躍する初瀬氏。「障害者の雇用ではさまざまな業種で取引させていただいておりまして、大企業も多いです」とのこと。

これからは障害者がどのようにキャリアアップしていくかが課題だと感じています。たとえば、大阪メトロはエレベーター設置率100%。ネガティブな問題も囁かれる日本ですが、障害者が生活しやすい国だと思います。障害者は『高齢者の先輩』のようなもので、いつか味わうことになる苦労を先に体感している部分もありますし、高齢化が進む日本において、障害者のための制度は日本全体を良くすることにもなる。

そして何よりイノベーションを起こすには、多様性を受け入れる社会も必要不可欠です。現代社会で女性の社会進出が目覚ましいように、上場企業の役員が障害者であったりとか、障害者も能力を生かしていけるような社会を目指して、ビジネスに取り組んでいきたい」と、日本の将来も見据えながら、今後の展望を語った。

スポンサー関連企業の社長に就任

初瀬勇輔(株式会社ユニバーサルスタイル・株式会社スタイル・エッジMEDICAL代表・元視覚障害者柔道日本代表)

選手としての活動をきっかけに、ビジネスのチャンスも掴んだ

2017年から初瀬氏は、新たに予防医学に関連したビジネスを行っている株式会社スタイル・エッジMEDICALの社長にも就任した。経緯について初瀬氏自身はこう語る。

「もともとは視覚障害者柔道の選手として活動している時に、株式会社スタイル・エッジに選手生活のサポートや、柔道着のスポンサーになっていただいたというところから始まりました。その後、徐々に関係性は深まり、2017年9月に新会社の株式会社スタイル・エッジMEDICALを設立した際に、お声がけいただいたという流れです」

初瀬勇輔(株式会社ユニバーサルスタイル・株式会社スタイル・エッジMEDICAL代表・元視覚障害者柔道日本代表)

社長とパラ選手という「デュアルキャリア」で、さまざまな活動を行っている

一見、事業との関連性は薄いようにも思えるが、株式会社スタイル・エッジは、スポーツを始めとするさまざまな事業も展開している。

「株式会社スタイル・エッジは、『80億の人生に彩りを。』というVISION(企業理念)を掲げ、主要事業として士業や師業に特化したコンサルティングを行っている企業です。また、その他にもさまざまな活動を行っています。

私は、パラリンピアンズ協会という選手会に所属しているのですが、協会の事業にもサポートしていただいています。

代表的なものとしては、『ネクストパラアスリートスカラーシップ(NPAS)』という奨学金制度ですね。株式会社スタイル・エッジはこの奨学金制度の創設から協力・協賛しています。

若い選手がパラリンピックを目指すということは、競技面はもちろん資金面でもとても大変です。車椅子や義足は数十万円しますし、これらは成長とともに買い換える必要もあります。強化選手になれない選手は合宿も自費参加です。本気でパラリンピックを目指すアスリートの金銭的な負担を少しでも減らしたいという想いで始めました」

東京パラ五輪に対する想い

初瀬勇輔(株式会社ユニバーサルスタイル・株式会社スタイル・エッジMEDICAL代表・元視覚障害者柔道日本代表)

東京パラ五輪についての想いや、これからの日本についても語っていただいた

2020年に開催される東京パラ五輪にはどんな想いがあるのだろうか。

「個人的には、まだ選手として出場出来る可能性があるので、全力で頑張るということですね。社会的な観点では、まずは大きな大会なので、最高に楽しむことが大切です。多くの人に大会を見て、感動してほしいです。

そして、来年のパラリンピックは、健常者と障害者の共生社会を作るという点でとても意義があると思っています

前回の1964年に行われた東京オリンピック終了後にもパラリンピックが行われ、53名の選手が出場しています。でも、その時の選手団のうち40人は施設で生活していて、働いているのはたった数人。それくらい社会に参加出来ていなかった。

大会は来年に迫りましたが、数十年後に『パラリンピックのおかげで日本が良くなった』『障害者と健常者の壁がなくなった』と言われるような大会になってくれたらいいなと感じています」

絶望から成功を掴むには?

初瀬勇輔(株式会社ユニバーサルスタイル・株式会社スタイル・エッジMEDICAL代表・元視覚障害者柔道日本代表)

ポジティブな「諦め」で楽に生きられるようになったと初瀬氏。

視野を喪失し、一度は絶望の中にあった初瀬氏。そこから成功を掴んだ背景に、どんな考え方があったのだろう。

「パラリンピックの父グッドマン博士が言ったとされる言葉に『失ったものを数えるな。残されたものを最大限に生かせ』という言葉があるのですが、これは誰に対しても言えることかなと思います。

実際に努力で解決できないようなものも世の中にはたくさんあると思いますが、それらを『ポジティブに諦めること』という感覚も大切かもしれません。

ボク自身は、目が見えなくなってできないことが増えた時、意識的に傷つくことをやめてみたんです。それで楽になれましたね。

変えられるものと、変えられないもの、さらには時間が解決してくれる問題も多いので、切り替えるような感覚を持つことは必要ですね。あとは、友人や家族といったような、関わりある人を大切にすることですかね。

もっと深く知りたいという方は、ボクが書いた『いま、絶望している君たちへ』という本を読んでいただくとそこに答えが書いてあるので、そちらもぜひ読んでいただきたいですね(笑)」

取材後記

2020年に行われる東京五輪に向けて着々と動き出している日本。

さまざまな視点を切り口にして、悲観的に見られることも多い将来の日本について、初瀬氏が期待を込めて語っている表情が印象的であった。

現在ふたつの企業での社長業務と、パラ柔道選手としての活動を中心に多岐にご活躍されている初瀬氏。

現役時代にいち早く実践されていた「デュアルキャリア」をはじめ、先の時代を見据えて動いてきた初瀬氏が「多様性のある日本」に対してどのような影響を及ぼし、社会を動かしていくのか、いまから楽しみだ。

初瀬勇輔さんの紹介

初瀬勇輔(株式会社ユニバーサルスタイル・株式会社スタイル・エッジMEDICAL代表・元視覚障害者柔道日本代表)

初瀬 勇輔
企業の健康経営や個人の健康をサポートする株式会社スタイル・エッジMEDICALと、障害者雇用に貢献する株式会社ユニバーサルスタイルの代表を務める。また、全日本視覚障害者柔道大会9連覇、北京パラリンピック出場を果たし、現在は東京パラリンピックへの出場を目指す傍ら、日本パラリンピアンズ協会理事等10以上の団体の理事を兼務。
著書「いま、絶望している君たちへ」(日本経済新聞出版社)出版。

初瀬勇輔さんのリンク集

公式HP:株式会社スタイル・エッジMEDICAL
公式HP:株式会社ユニバーサルスタイル
Facebook:初瀬勇輔オフィシャル

<書籍>
「いま、絶望している君たちへ」パラアスリートで起業家。2枚の名刺で働く
日本経済新聞出版社
amazon

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白鳥純一

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行政書士、宅地建物取引士などの傍らで、細々と執筆業を続けている。インタビューや堅めのコラムが中心なのだが、なぜかメジャーリーグでの取材実績もある。これからは徐々に海外も視野に入れて活動していく予定。

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