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長井杏奈

長井杏奈

生きるために食べるというより、食べるために生きている節があるフリーライター。好きが高じてグルメ系の記事を書くようになる。他には、ウェディング、トレンド、人事・採用系がメインジャンル。ライターの傍ら、司会・MC業も務めるパラレルワーカー。趣味は、一人旅に出ること、小説を読んだり書いたりすること、飲み会の幹事をすること。

2019年11月28日
スペシャリストたちの7つ道具

ジョイマン 高木晋哉(お笑い芸人)/一発屋の光と影。「サイン会0人事件」を乗り越えて 前編

お笑い芸人-ジョイマン高木晋哉インタビュー

2008年、日本を席巻したお笑いブームの渦の中にあるコンビがいた。ラップ調のネタとコミカルな動きが特徴的な「ジョイマン」だ。時は移り2019年現在、ジョイマンは各種メディアで「一発屋」の烙印を押されている。

しかしここ数年、風向きが変わってきた。高木氏のポエムなツイッターや、サイン会に参加者が集まらないという衝撃的な事件を経て、じわじわとまた露出が増えているのだ。今回は前後編にわけてそんなジョイマンの高木晋哉氏に、仕事で欠かせない7つ道具と、これまでのお話を伺った。

授業で挙手すらできない少年が、芸人になるまで

ジョイマン高木晋哉氏

舞台での笑顔よりもずっとやわらかな表情の高木氏

軽快なステップとともに繰り出される「2、3本 イビョンホン」といったラップ調のフレーズ。舞台やテレビで活躍する姿からは意外かもしれないが、幼少期は口数の少ない少年だったという。

「おとなしいも、おとなしい。自己表現なんてできなくて、教室で手を挙げることすらできない子どもでした」

授業で何かを発表するとなると、すぐに緊張してしまう。そんな少年が後に芸人となった原体験は、小学校3年生のときのある出来事だった。当時の担任教諭は授業が早く終わればギターを弾いてみんなで歌おうと提案するような、生徒とコミュニケーションをとり長所を伸ばすことに意欲的な人だったという。

そんな担任が、きたる学校のバザーに向けてその日だけ使用できる通貨を作ろうと提案した。その通貨単位を「ギンシャ」にしようと言ったのだ。これは、「タカ“ギシンヤ”」から名付けられた、高木氏の当時のあだ名であった。

「あの先生のことは、忘れもしないです。実際にバザーの通貨がギンシャになって、人生で初めて脚光を浴びました。それで、注目を浴びるのも悪くないなと思えたんです」

ジョイマン高木晋哉氏-インタビュー

バザーをきっかけに多くの人に知られ、前に出るのも恥ずかしくなくなったという

そして時は流れ、19歳の高木氏は一浪を経て早稲田大学教育学部に入学。名門大に入ったものの、モチベーションが低くほとんど授業に出ない日々を過ごしていた。成人式で同級生たちと会ったとき、前向きに夢を語る同級生たちとはまったく異なる心情だった。口々に熱い夢を語る同級生のなかに、後に相方となる池谷和志氏と、現在アーティストとして活躍している秦基博氏がいた。池谷氏が「NSCに入ってお笑いをやりたい、一人でも芸人になる」と話すのを聞いた秦氏の一言が、“ジョイマン・高木”誕生のきっかけを作る。

「秦くんが、『やりたいことないなら池谷と一緒にやってみたら』と言ったんです。その一言に感化されて、大学を辞めてNSCに入りました」

家族の反対は目に見えていた。一浪を経て予備校にも通い、学費も3年間支払っている。卒業までもう間もなくというところにきて、「芸人になるから大学を辞める」といっても賛同を受けられないのは当然だろう。 高木氏は、しばらく通っているフリをしつつ手続きを済ませた。正式に大学を退学し、引き返せなくなったところで事実を打ち明けた。

「もちろん怒られました。親父には殴られましたしね」

ジョイマン高木晋哉氏

3年間在学はしていたものの、単位はほとんど取得しなかったという

笑顔で語る高木氏に、なぜ大学を辞めたのかを質問した。大学と芸人を両立させながら活動することは不可能ではなく、実際にそうしている方もいるなかで、どうして退学の道を選んだのか。

芸人っていうのは、一回、死ぬくらいの気持ちで入る世界だと思ったんです。全部捨てないとダメだと思いました。あと、当時は全部投げ出したい気持ちだったんですよね」

ブレイク前夜、昇りきった太陽がやがて落ちる

ジョイマン高木晋哉氏

2008年、一気に人気芸人の仲間入りを果たしたジョイマン

家族に反対されながらもNSCへ入学、池谷氏とコンビを結成した。しかしそれまで、とくにお笑いに傾倒していたわけではない。相方とふたり、試行錯誤しながらネタ作りに励んだ。

「それまでお笑いなんて何もしたことなくて、中学のときに秦くんと学校の文化祭でコントを一回したくらい。そもそも人前での喋り方もわからなかったんですよね」

暗中模索のなかで見えていた一筋の光が、先輩芸人である品川庄司のふたりだった。NSC一期生のなかでも抜群に売れていたふたりへの憧れが強く、また自分たちに似たものがあると分析したという。

「ビジュアル的にも、ぶさいくとイケメンっていうのが似てるし。池内のこと、当時はイケメンだと思ってたんですよ、僕はね(笑)」

品川庄司のネタを見てその内容を書き起こし、自分たちのネタを書いてひたすら練習した。当時はコントではなく漫才をやっていたが、一向に売れる兆しは見えなかったという。ライブごとに順位が発表されるランキングライブにも出ていたが、あまりにもウケず次に笑いを取れなければ次回から出場できなくなる局面にまで追い込まれた。

相方とふたり、いままでの漫才ではだめだと前日まで悩みに悩んだ。ネタ合わせをしながらでた結論が、「どうせダメなら、最後に変なことをやろう」。せっかくだし歌でも歌ってやろうと思い披露したのが、あの軽妙なラップネタだった。それが、大爆笑を生んだ。

「今までとは違う笑いだったんですよ。客席の後ろの方からドカンと笑いがくる感じで、ウケるっていうのはこういうことなんだと思いました。そしてこれは、何かあるかもと感じたんです」

ジョイマン高木晋哉氏

2008年圧倒的な人気を誇っていたジョイマンだが、人気への陰りが少しずつ見えてきた

2008年当時、ショートネタブームがあったことも背中を押し、ジョイマンは人気芸人へとのし上がっていった。1年間で1日も休みがないほど引っ張りだこの生活を送ったが、高木氏は当時のことを「前世のことのよう」だという。

「もう10年も前のことですしね。それに忙しすぎて覚えていないんです。収録や取材、一日何本も仕事があって、今自分がどこにいるかもわからない状態でした」

テレビで見ない日が続いていたジョイマンだが、少しずつ、しかし確実に陰りが見え始めた。最初の変化は、キー局での仕事の減少だった。徐々に地方のテレビに出るようになるが、それもだんだんとなくなり、ネット配信を中心に活動するようになる。最後には、営業の仕事だけが入ってくるようになった。漫才かコントをしっかりと作れる芸人を優先的に舞台に立たせるという会社の方針もあり、ラップネタでブレイクしたジョイマンは舞台に立つこともなかった。あれほど忙しかった日々から一転、スケジュールがどんどん埋まらなくなっていった。

最悪の状況が“バズった”奇跡

ジョイマン高木晋哉氏の手

「ななななー」というネタのフレーズにちなんで、愛娘に「なな」と命名した

世の中には「一発屋」と呼ばれてしまう芸人も少なくないが、何をもって「一発」が終わったとするのかは曖昧だ。たとえばテレビで見ることはなくなっても、営業の仕事が大量に入っていることもある。しかしジョイマンには、あまりにもわかりやすく一発の終わりを感じさせる事件が起きた。それが、「サイン会0人事件」だ。

とある施設で、ジョイマンのサイン会を開いた。通常通り告知を行っていたが、なんとそこに、1人のファンも現れることがなかったのだ。その現実に、高木氏は「辛すぎて自分だけではこの状況を抱えられない」と感じた。そこでまさに誰もいない現場を写真に撮り、ツイッターにあげた。
「まわりからは、よくあれをツイートしたねと言われました。やっぱり客を呼べないと思われれば仕事も減りますから。でもこれが変化のきっかけになったというか、吉本の人にも『ジョイマンってやばいんだ』と知れ渡ったんですよ」

絶望の瞬間から一転、このツイートは一気に拡散されSNSの世界で驚きと笑いの渦を巻き起こした。高木氏はこの件で、自分たちがいかに厳しい状況にあるか世間に気づかれていなかったことがわかったという。

ジョイマン高木晋哉氏

事件以前、ジョイマンの現状を理解している人間はいなかった

この事件から、風向きが変わった。現状に気づいてもらえたからこその変化であるため、こんな悲しい事件であっても「発信してよかったと思います」と言える。

現在、活躍の場を広げる高木氏はポエムの仕事も手掛けている。事の発端は、仕事がなくなりあまりにも時間ができたために始めたブログだった。暇だからと始めたものの、そもそも仕事がないため発信するネタもない。そこでブログにポエムを載せ始めたという。

ある日そのポエムを見た出版社の担当者が、ライブを訪れた。そして高木氏に「詩集を出さないか」と打診したのである。ブログを書いていた頃は仕事もなく落ち込む日々だったため、いま振り返ると「病んでる」ものが多いという。そんな作品たちに新しい書下ろしを添えて、『ななな』(晩聲社、2013年)が出版された。現在もコラムなどの「書く」仕事が増えているという。

圧倒的な人気を誇っていた2008年から10年、「一発屋」の烙印を押されたジョイマン。しかし、いまじわじわとその人気が上昇してきている。サイン会にファンが来ないといういわば「どん底」を迎えた高木氏が、書く仕事を始め、今後どうなっていくのか。後編では高木氏が仕事に欠かせない7つ道具と今後について伺う。

後編:高木晋哉さんの7つ道具とは?

取材後記

高木氏に書きものの仕事依頼が多くくることになったきっかけの一つは、『ななな』の出版であった。しかし本書は初めから書籍化を狙っていたわけではない。むしろ、仕事がなくなっていく焦燥感や絶望をブログに書くことで、気持ちを保っていた面があったそうだ。それが巡りめぐって、新しい仕事につながっている。働き方やお金の稼ぎ方が多様化しているいま、お笑い芸人ではなくとも、いろいろな場所で種まきしていることが、思わぬマネタイズにつながるかもしれない。

高木晋哉さんのご紹介

お笑い芸人ジョイマン高木ネタポーズ
高木晋哉/お笑い芸人
神奈川県横浜市青葉区青葉台出身。桐蔭学園高等学校出身。早稲田大学教育学部国語国文学科に入学、三年次退学。2003年4月、同級生であった池谷和志氏とジョイマンを結成、東京NSCに8期生として入学。2013年、『ななな』(晩聲社、2013年)を出版。

高木晋哉さんのリンク集

Twitter:@joymanjoyman

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長井杏奈

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生きるために食べるというより、食べるために生きている節があるフリーライター。好きが高じてグルメ系の記事を書くようになる。他には、ウェディング、トレンド、人事・採用系がメインジャンル。ライターの傍ら、司会・MC業も務めるパラレルワーカー。趣味は、一人旅に出ること、小説を読んだり書いたりすること、飲み会の幹事をすること。

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