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笹谷 淳介

笹谷 淳介

鳥取県出身のフリーライター&エディター。ファッション誌の編集部を経て現在に至る。主にファッション・音楽・カルチャー系の紙媒体・ウェブメディアで活動中。音楽と古着がとにかく好きで休日は古着屋かレコード屋にいる可能性大。最近の趣味は町中華で美味しい炒飯を食べること。

2020年2月20日
フロンティアスピリッツ

極地冒険家 阿部雅龍/先人への憧れを胸に、前人未踏の難関ルートで南極点到達を目指す

阿部雅龍/極地冒険家

「夢を追い続ける」。それは決して簡単なことではない。壁にぶつかり諦めてしまう人間が多くいるなか、自分の夢を追求し、行動に移し、実現し続ける男がいる。

阿部雅龍(まさたつ)氏。職業、プロ冒険家。幼少時代に漠然と憧れた冒険家という職に就いてから数多くの場所を冒険し、未だ誰も達成していないという「しらせルート」での南極点到達を目指している。そんな彼の人生の到達点はどこなのか。

今回は阿部氏のご自宅にお邪魔し、冒険家の生き様についてお話を伺った。

母から贈られた“冒険家”との出会い

少年時代を地元である秋田で過ごした阿部氏は、宇宙好きな少年として育った。今では考えられないが、幼少期は体が弱く、運動もできない、どちらかというといじめられっ子タイプだったという。

そんな彼がなぜ、冒険家という過酷かつ危険な職業を志すようになったのか。それは母親にプレゼントされた一冊の本が大きく関わっている。

極地冒険家-阿部雅龍インタビュー風景1

きっかけの1つになった本について話す阿部氏

「小学4年のとき、学校推薦図書というものがあってそのなかの1冊に『未知の世界を開いた探検』という本があったんです。いわゆるマンガで読む伝記ですね。その本を母が買ってくれたんです。

この本には、数々の冒険家のことはもちろん、僕と同じ秋田県出身で初めて南極を冒険した、明治時代の冒険家・白瀬矗(しらせ のぶ)も出てくるんですが、日本人が出てくることにすごく驚いたんです。それと同時に自分の勇気や体力で冒険を乗り切っていく冒険家の姿を素直にカッコいいと思ったんですよね。

僕は体も強くなかったし、運動もできなかった。なおさらこういう人たちが光り輝いて見えて憧れましたね」

本によって、“冒険家”という職業に初めて触れた阿部氏。ただこのときは小さな憧れが芽生えただけで、将来自分が冒険家になるとは思ってはいなかった。

幼少期から宇宙が好きだったこともあり、高校生のとき最初に目指した職業は宇宙物理学者だった。宇宙の謎を解き明かす仕事がしたかったという。物理科のある大学を受験したが、第一志望の大学には残念ながら入ることができなかった。しかし、この経験が冒険家、阿部雅龍が生まれるきっかけとなった。

「僕の家庭は裕福な家庭ではありませんでしたし、国立大学に受からなければ就職しなさいと言われていました。なので言い方は悪いですけど滑り止めで秋田大学に入学したんです。でも、そこは宇宙とは関係のない機械工学科だったのでこの時点で学者の夢を諦めてしまいました。

今考えれば、編入っていう手段もあったと思うし、自分でバイトをしてお金を稼ぎながら勉強をして学者を目指す手段もあったはずなんです。でも、当時の僕にはその発想がなかった。

だから学者という夢が潰えた瞬間に、冒険家という夢への火が徐々に点いていきましたね」

滑り止めとはいえ、大学に入学した阿部氏。入学後は空手に打ち込んだ。大学1年から初めて、すぐに道場の内弟子となり住み込みで練習を行った。

突然、空手? と思うかもしれないが、彼なりの考えがあった。それは体のベース作り。冒険に耐えうる体を作るべく、空手を始めたのだ。

極地冒険家-阿部雅龍インタビュー風景2

大学時代は空手に打ち込み、体を鍛えた

「高校時代もとくに運動をしてきていませんでしたし、バンド活動に没頭していたタイプだったので、冒険家を目指すならまずは体力作りからスタートしないといけないと思ったんです。1日7時間くらい練習をしましたね。勉強もせずにずっと空手(笑)。

そんな生活を送るようになって、全国大会にまで出れるようになったんです。僕でも全国に行けるんだと自信にも繋がりましたし、空手は体作りにも最適でしたね。体力がないと何もできないので。僕は一度ハマるとどこまでもやってしまうタイプなんですよ」

空手を通じ、体を鍛えながら自信をつけていった阿部氏。大学2年の終わりの春休みには一人旅をしてみようと、ヒッチハイクの旅へと出かけた。そこで自分の行動次第で状況が変わる旅の楽しさに気づき、冒険家になりたいという思いをさらに強くさせていった。

冒険家 大場満郎に憧れ冒険の道へ

自らの足で初めて旅をしたことで冒険家への憧れが一層強くなった阿部氏に転機が訪れたのは、大学3年の就職活動の時期。周りが懸命に就職活動をするなか、とくに入りたい会社もなく、就職する気もなかった。

その一方で、たくさんの冒険家のインタビュー記事をインターネットで読み漁っていた。そこで見つけたのが、山形出身の冒険家・大場満郎の記事だった。

書籍「笑って死ねる人生がいい」

転機となった、冒険家・大場満郎氏の著書

「北極・南極を1人で冒険している大場さんのインタビュー記事を読んだのが転機になったと思います。大場さんは凍傷が原因で足の指が全部なくなってしまった方なんですけど、それでも旅を続けている。

インタビューのなかで『そんな危険な目にも合うし、お金もかかるのにどうして冒険をするんだ』と聞かれたときの大場さんの答えが、『だって人生って1回しかないから、笑って死ねるような人生がいい』という言葉だったんです。

その言葉にショックを受けたんですよね。僕はこのままなんとなく生きていって、笑って死ねるのかなって。この言葉を見たときに、この人になりたいって思ったんです。

だから、彼に『あなたみたいな冒険家になりたい、なんでもするので側に置かせてほしい』と手紙を書いて、大場さんがやっている冒険学校に大学を休学して転がりこんだんです」

熱意が届き大場氏が主宰する、「アースアカデミー大場満郎冒険学校」のスタッフとして働くことになった阿部氏。電話の取り次ぎや依頼を受けた講演会の調整、プレスリリースの送付などの業務をこなす日々のなか、大場氏と衣食住をともにし、第一線で活躍する冒険家が何を考え、どういった生活を送っているのかを目で見て肌で感じた。そして、冒険家は冒険をしているだけではダメということに気づいた。

極地冒険家-阿部雅龍インタビュー風景3

大場満郎氏が主宰する、冒険学校へ

「大場さんは朝、日経新聞を読んでいるんですよ。そのとき、『プロの冒険家になるんだったら、ちゃんと日本の経済とか、社会のことがわからないとお金なんか集まらないよ』と言われてたんです。

でも朝からニュースを観て、新聞を読む冒険家の姿なんて想像しないじゃないですか。でもプロのあり方を学びました。あと、大場さんは人との出会いを大切にする人で、年賀状を手書きで1000枚くらい書く人なんです。すごいですよね。こういうことをちゃんとする人だから、支援が集まるんだなって思いましたね」

憧れの冒険家のすぐ近くで学んだ経験は、冒険家を目指す彼にとって、かけがえのないものになった。その後、阿部氏は冒険家になることを決意。大学に復学して卒業したあとすぐに上京し、トレーニングを兼ねて人力車の車夫として働くことになる。

人力車の車夫という、もうひとつの顔

人力車の車夫という顔も持つ

人力車をひき、地元の秋田県などを周る阿部氏

冒険家・阿部雅龍を語るうえで欠かせないのが、人力車の存在。阿部氏は人力車の車夫としての顔を持つ、異色な冒険家でもある。過去には人力車を走ってひきながら、地元秋田や東北を一周する活動も行なっている。なぜ、人力車なのか。

「現在も自営で車夫として働いているんですが、働きながらジムに通って体を鍛えるって結構ハードなことだと思うんです。それなら、働きながら体も鍛えれる人力車がいいと思ったんです。

あと、僕は昔から人と話すことが苦手で……。車夫って絶対にお客さんと話さないといけない。ときには客引きもしなければならないし、コミュニケーション能力を上げられると思ったんです。

それと日本の文化を学びたいと思いました。大学休学中に南米を旅したんですが、現地の方に日本のことをすごく聞かれたんです。でも何も答えれなかった。海外の人たちは自分の国のアイデンティティをしっかり持っていて、きちんと説明できるんです。その姿がすごくカッコいいなと思いましたし、自国のことを知らない人間が世界に出て活躍できるわけがないと思ったんですよね」

冒険家でありながら、日本を象徴とする人力車の車夫でもあるというアイデンティティを得た阿部氏は、プロの冒険家として、カナダ北極圏単独徒歩、グリーンランド北極圏単独徒歩などを成功させた。その後、目標でもある南極へ挑戦することとなる。

憧れた南極点の単独徒歩到達、そして前人未踏の冒険に向かう

極地冒険家-阿部雅龍インタビュー風景4

未だ誰も達成していないという『しらせルート』への挑戦へ

阿部氏の冒険家人生の1つの核となるのが、南極への挑戦。2019年1月に日本人初となる「メスナールート」での南極点単独徒歩到達を達成したが、彼にはもう一つの目標がある。それは、幼少期に憧れを持った同郷の冒険家である白瀬矗が挑戦したルート「しらせルート」での南極点単独徒歩到達だ。このルートは合計1,300km程度が予想され、途中で南極横断山脈(標高3,200m)を超えるなど難易度は最高レベルと言われている。もし、このルートでゴールができれば人類初の偉業となる。挑戦は2020年の冬に予定しているという。

南極を冒険することは並大抵の覚悟でできることではない。多くの資金が必要になることはもちろん、冒険中に想定外のことに見舞われるかもしれない。そんな過酷な挑戦になぜ彼は挑むのか。

「そりゃ、怖さもありますよ。死ぬかもしれませんからね。実際に何回か死にかけていますしね。でも冒険が好きでやっていますから。

それより資金集めの方が大変だなと思いますね(笑)。基本的には自己資金・個人支援・企業支援の3つの方法で資金は集めているんですけど、ギリギリまで集まらないときなんかはかなり焦りますよ」

阿部雅龍と大学生で共同開発したナイフ

実際に南極で使用する、ナイフは大学生と共同開発したもの

未知への挑戦をし続ける阿部氏。「しらせルート」に挑むとすれば2度めの南極挑戦になるわけだが、現地ではどのような苦悩があるのだろう。阿部氏の冒険スタイルは単独徒歩での冒険。100キロ以上あるソリを引きながら何日間も1人で旅をする。目の前に広がるのは白銀の地平線。彼には孤独な1人旅を乗り切るためのユーモアな打開策があった。

「僕はゴールよりスタートが嬉しいんです。ようやく実現できた喜びが一番大きい。そこから先は現実で孤独との戦いですよね。楽しいですけど(笑)。

なるべく楽しいことを考えながら、かつ今の南極の現状を観察しながら進んでいきます。もう僕だけの冒険だけではなくなっていますからね。不安になることもありますが、いろんな人たちの想いを乗せて僕は歩いているので最後までしっかりと歩きます。

あとは生きる希望を見出すことですかね。帰ったらあの子とデートに行こうとか考えますし、僕は南極に女の子のTバックを持って行くんですよ(笑)。ネタじゃないですよ!

本当に大事なんですよ。人間の匂いを感じるというか。生きる希望なんです。といっても女性のことだけ考えているわけじゃないですよ(笑)」

冒険へ持っていく笛(冒険家/阿部雅龍)

冒険へ持っていく、笛の数々

過酷な南極の冒険について茶目っ気たっぷりに話す阿部氏。だがその心には、小学校4年のときに本の中で出合った冒険家・白瀬矗の「願えば目的は実現できる」という生き様が刻まれている。

冒険=チャレンジできる社会を目指して

極地冒険家-阿部雅龍インタビュー風景5

「笑って死ねる人生」を実践する

冒険家という人生をまっとうしている阿部氏。史上初の偉業達成が目前である彼の人生の到達点は一体、どこにあるのだろうか。

「『しらせルート』を達成した後には冒険学校を作りたいと思っています。でも冒険家を育てるのではなく、冒険を通じたアクティビティであったり、リスクマネジメント、チャレンジすることが当たり前という環境を若者に作ってあげたいんです。

僕の後継者を見つけることも必要ですけど、育った子たちには起業や教育に携わることをやってほしいなって思います。今の時代、雇用は自分で作っていくしかないですからね。
とにかく若い子たちにはチャレンジをしてほしい。そういう場所を作るのが僕の使命だと思っています。

そして、『笑って死ねるような人生がいい』と言っていた大場さんの言葉のように、人生を生き抜いてやったと笑って生涯を終えたいと思いますね」

極地冒険家の仕事について詳しく知るには職業ナビ!
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取材後記

取材に訪れた次の日、阿部氏から手紙が届いた。そこには手書きでメッセージが書かれていて、最後には「一度きりの人生、互いに味わいましょう」とあった。初対面でなおかつ2時間ほど同じ時間を過ごしただけなのに、ここまで丁寧なお手紙を頂いたのは初めてだった。

おそらくこの仕事をしていなかったら、出会うことのなかった冒険家。私には新鮮でとてもおもしろい話ばかりだったが、それよりも人間・阿部雅龍という男に惚れてしまったとても貴重な時間だった。

史上初の偉業を達成するであろう阿部氏に応援の気持ちを込めて、この記事を閉じようと思う。本当にありがとうございました。

阿部雅龍さんのご紹介

極地冒険家-阿部雅龍

阿部雅龍/極地冒険家
秋田県出身。秋田大学在校中から冒険活動を開始。すべて人力単独行。2019年同じ秋田出身の白瀬矗中尉の足跡を辿る南極点到達を目指している。2019年1月、日本人初踏破の「メスナールート」による南極点単独徒歩到達918kmを達成。2017年人力車をひきながら日本の一宮68箇所を巡る「リキシャジャパントラバース―一宮68箇所人力車参り―6400㎞」を達成した。

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