この記事を書いたライター

ヒゲピカ

ヒゲピカ

長年のライター経験から裏打ちされた洞察力、ロックDJとしての審美眼を兼ねたお髭のマツオカと、元お笑い芸人ゆえの独創的な発想力を活かした切り口のインタビュー&ライティングに長けるハヤシモトケイスケによるユニット。この出鱈目な世の中で、真実に向かい吠える二匹の狼。

2020年3月19日
スペシャリストたちの7つ道具

駄菓子屋「駄菓子屋ROCK」谷口齋隆/子どもたちに夢を届ける少年の心を持った39歳

谷口齋隆(駄菓子屋ROCK)インタビュー

学校が終わると友達と集まり、お小遣いからどのお菓子を買おうか頭を悩ます。ほかの学校の子と友達になったり、逆に喧嘩になったり……。そんな子どもたちだけのコミュニケーションの場として、いつもそこにあった駄菓子屋。しかし、少子化でその数も減少してしまい、子どもたちの学校以外の貴重なコミュニケーションの場が限られてきている。

この現状を見てリアカーを改造し、移動式駄菓子屋として営業を始めた谷口齋隆(としたか)氏。かつて駄菓子屋に通う少年だった男が、駄菓子という夢をリアカーに乗せて、今の少年少女たちのために運んでいる。谷口氏に仕事の魅力や思い、そして7つ道具を聞いた。

駄菓子屋がコミュニティの原点だった少年時代

谷口齋隆(駄菓子屋ROCK)インタビュー風景1

愉快でやんちゃ坊主だった少年時代を経て今の仕事へ

駄菓子屋というノスタルジックな一面と、ロックという“ワル”な一面の融合で、ほかに類を見ない独創的な商売をしている「駄菓子屋ROCK」の谷口氏。移動式駄菓子屋のお兄さんでありながら、イベントなどではエレキギターをかき鳴らし、舞台上から子どもたちに駄菓子を景気よく投げる。そんな破天荒な商売をしている谷口氏と駄菓子屋の接点は幼少期までさかのぼる。

「小学生、中学生のころは、とにかくやんちゃでしたね。先生を困らせるのはしょっちゅうだったし、友だちにいたずらをしたり。でも暴力を振るうというタイプのやんちゃではなかった。みんなに笑いを提供するタイプのやんちゃでした」

そんな谷口氏も当然、幼少期は駄菓子屋に通っていたという。

「学校が終わったらほぼ毎日『俺たちの時間だ!』って近所の駄菓子屋に友達と集まり、ゲームをしたり、お菓子を食べたり、ブタメンをすすったり。そこで秘密基地の話とか、好きな女の子の話とか、悪だくみの話をしたり。人間として初めて体験する最初のコミュニケーション・スポットでしたね、僕らにとって駄菓子屋というのは」

高校を卒業後、高校時代からアルバイトしていた居酒屋にそのまま残り、働き続けていたという谷口氏。

「高校時代は授業があって夕方からしかアルバイトに入れなかった。でも卒業したら昼過ぎの仕込みの時間から働けるからね。その後も20代のころはうどん屋、バーテンダーと主に飲食業でずっとバイトをしていましたね」

35歳までに駄菓子屋になると宣言した20代

谷口齋隆(駄菓子屋ROCK)インタビュー風景2

夢の実現のために、本気で向き合い始めた約束の日から半年前

そんな谷口氏だが、駄菓子屋になるという夢は20代のころからずっと持ち続けていたという。

「友人と飲みに行ったときなんかに必ず『俺は35歳になったら駄菓子屋をやる!』って何の根拠もなく言っていたんですよ。それを仲間も冗談半分で聞いていた。でも僕たちの通っていた駄菓子屋がどんどんなくなってきているのは知っていたし、ずっと気になっていました。

だから自分が35歳になるまでにほかのビジネスを確立して、その余力で駄菓子屋を運営しようと考えていた。でもなかなかそういう訳にはいかず、35歳の誕生日の半年くらい前に急に焦りだしたんです。あれだけ酒の席で駄菓子屋になると宣言していたのに、なっていなかったら笑い者だって」

残りリミットは、あと半年。35歳までに駄菓子屋になるという宣言はなかったことになってしまうのか。

「その当時、キッチンカーが流行っていて増えていたんです。だから店舗型ではなく移動式の駄菓子屋さんでもいいんじゃないかって思いついたんです。そして駄菓子屋のノスタルジックさを出すためにリアカーがいいと考えた。

さっそくリアカーを新品で購入しようと思ったんですが、リアカーって10万円くらいして意外に高い。そこで移動式の駄菓子屋をやるために、リアカーが必要だとSNSで発信したら幸運にもリアカーを譲ってくださるツボ焼き芋屋さんがいらっしゃって。『そういう思いがあるのならば譲るよ』と言ってくれたんですよ。

そのリヤカーに建築関係に勤めてる友人からもらった廃材で作ったで柱を付けて。唯一、自腹で購入したのは屋根に使う3,000円のトタン。これで完成しました、総工費3,000円です。そして駄菓子問屋で商品を揃えて、誕生日の4日前に駄菓子屋ROCKはスタートしたんです」

なんとか35歳の誕生日の4日前に駄菓子屋としての活動をスタートさせた谷口氏の胸の中は、自分の夢を実現させたという思いと同時に、子どもたちへの熱い思いもあった。

「今の子どもたちって公園で何して遊んでいると思います? スマホや携帯ゲーム機持ってベンチに座って通信しながらゲームしてるんですよ。リアルじゃないなって感じましたよ。俺たちのころにも携帯ゲームはあったけど、有線ケーブルでカチッとつないでゲームをしていたからまだギリギリ、リアルだったと思う(笑)

そんなリアルで人情味あふれる人と人とのふれあいができる場所を、子どもたちに提供してあげたいという気持ちがありました。

印象的な出来事があるのですが、団地の商店街エリアで店を開いていたある日、その日は冬で日も早く暗くなり『店じまいするか』と店を片付けていたんです。そのとき、母親に連れられて小さなお子さんが来たんです。その子は駄菓子屋のことを楽しみにしてくれていたそうで、今にも泣き出しそうな残念な顔をしていました。そんな顔見たらほっとけないでしょ? 畳みかけていたリアカーをバーッと広げなおして『さあ、好きなの選んで!』ってやってあげたんです。そしたらものすごい喜んでくれて。

その親子は常連になってくれてちょくちょく店に来てくれるようなりました。そんなある日その子のお母さんだけやってきて僕に教えてくれたんですよ。その子は今まで横断歩道は母親と一緒でしか渡れなかったのだと。でも駄菓子屋ROCKに行きたいという気持ちが勇気をくれて、初めてひとりで横断歩道を渡ることができたそうなんです。そんな子どもの成長に少しでも携われたことに感動しましたね」

近年、少子化の影響を受けて全国的に駄菓子屋が減ってきていることに関しても谷口氏は思うことがある。

「寂しいですね。子どもの数も減ってそれだけでは運営できなくなってしまったというのはしょうがないとも思っています。でも、どうにか自分がもう一度、駄菓子屋業界を活気づかせる起爆剤になりたいと考えています。

今は海外からのインバウンドが増加していますし、日本食ブームも相変わらず続いています。世界でも知名度のある日本のインフルエンサーだったり、日本食料理店の板前さんだって子どものころはみんな駄菓子屋に通っていたはず

日本の色彩感覚だったり、芸の細かさというのは駄菓子屋のお菓子からきているのかもしれません。そう考えると、絶対になくしてはいけない文化だと思うんです」

駄菓子屋ROCKの7つ道具

お祭りの様子(駄菓子屋ROCK)

7つ道具すべてを持ち歩くのは大変そうだ

駄菓子屋だけでなく縁日、そしてやぐらを立ててのお祭り。駄菓子屋ROCKが来れば365日、毎日が祭りとなってしまう。そんな谷口氏の仕事に欠かせない7つ道具を紹介いただいた。

「リアカーひとつからはじまった駄菓子屋ROCKですが規模や設備も徐々に増えていって、いまではイベントによってはひとりでは回せないくらいにまで成長しました。そんな僕の7つ道具というべきアイテムです」

駄菓子屋ROCKの道具 その1:『リアカー』

駄菓子屋ROCKの7つ道具その1「リアカー」

リアカーを展開すると、自然と子どもたちが集まってくる

当然、一番に上がったのはリアカー。

「これが本店だからね。原点でありスタートです。ショッピングモールの催事に呼ばれたときなんて大きさ的にエレベーターに入らず、大人4人で担ぎながら階段を上ったこともありましたね。もう僕と一心同体の関係です。このリアカーが駄菓子屋ROCKだと言っていいと思います」

駄菓子屋ROCKの道具 その2:『バイク(HONDA カブ)』

駄菓子屋ROCKの7つ道具その2「バイク」

海沿いの道を颯爽と走るカブ。すべては子どもたちの笑顔のため

こちらも駄菓子屋ROCKのスタートとなったアイテムだ

「屋台を引っ張って移動するときの必需品です。ノスタルジックさを出すためにはスクーターだとダメ。やはりカブじゃないと駄菓子屋の持つノスタルジックな雰囲気にマッチしないんですよね。これもSNSで『カブがほしい!』と発信したら格安で譲ってくれる人が現れたんです」

駄菓子屋ROCKの道具 その3:『縁日』

駄菓子屋ROCKの7つ道具その3「縁日」

射的などお祭りでないと出合えない縁日もある

綿菓子、ヨーヨー、スーパーボールすくい……駄菓子屋ロックは駄菓子だけではなくこんな楽しみもある。

「夏祭りも年々減ってきたり、規模が小さくなったりしていて子どもが縁日を体験する機会が減っているのはかわいそうですからね。それに縁日は、譲り合ったり助け合ったりとコミュニケーションを学べる最高の機会だと思います」

駄菓子屋ROCKの道具 その4:『櫓(やぐら)』

駄菓子屋ROCKの7つ道具その4「櫓(やぐら)」

櫓を組めば、そこはもうお祭り会場に早変わりだ

個人単位で櫓を持っている人なんて、日本でもおそらく谷口氏しかいないだろう。

「マイ櫓持ってるって、おもしろいでしょ(笑)。ホームセンターで単管パイプを購入して作りました。夏のイベントのときなどに出動することが多いですね。やっぱりインパクトが強いですね櫓は。櫓の上から子供たちに向かってお菓子を投げると爽快ですよ。試行錯誤しながらやっています。太鼓の叩き手を増やしたり、踊り子を用意したりして、さまざまな仕掛けでオーディエンスを盛り上げるという点ではDragon Ashと一緒だね(笑)。純和風Dragon Ash的な」

駄菓子屋ROCKの道具 その5:『車(ワゴン)』

駄菓子屋ROCKの7つ道具その5「車」

オリジナルペイントが施された車。ペイントはすべて谷口氏によるもの

縁日や櫓を出張先へ持っていくのに必需品となるのが車だ。

「最初はリヤカーだけでやっていたけれど、縁日や櫓を持っていくとき必要になるので車に荷物を詰め込み現場で組み立てています。リアカーは僕がカブで引いて、車は奥さんに運転してもらって。手書きでペイントしてるから、もはや駄菓子屋ROCKの走る看板だよね。認知され始めてからは運転していると普通に小学生が手を振ってくれたりすることもあります」

駄菓子屋ROCKの道具 その6:『和太鼓』

駄菓子屋ROCKの7つ道具その「和太鼓」

景気よく叩くことで子どもたちのテンションもMAXに

なかなかないでしょう、和太鼓のある生活……と不敵に笑う谷口氏。確かに一般家庭には和太鼓がある生活なんて考えられない!

「これはパフォーマンスをするときに使います。ライブをやっているときや、櫓の上で叩いたり。あとは普段、子どもたちも和太鼓を触る経験なんてなかなかないでしょうから出展ブースのところにドーンと置いて自由に叩かせてあげるんですよ。何より和太鼓は映えますからね。駄菓子屋ROCKにはぴったりのアイテムです」

駄菓子屋ROCKの道具 その7:『エレキギター』

駄菓子屋ROCKの7つ道具その7「エレキギター」

子どもたちの笑顔のために使い込まれたエレキギター

駄菓子屋をする傍ら、音楽活動もしている谷口氏。彼の歌は子どもたちに対して歌われており、演奏の最中にお菓子をばら撒くのでいつもライブの最前列はビニール袋を持った笑顔の子供たちであふれている。

「テレビなどではエレキギターはよく見かけると思うんですが、生のエレキギター演奏って子どもたちには珍しいと思うんですよ。子どもたちには少しでも音楽に触れる経験をしてもらいたいんです。熱狂して最前列でお菓子を拾う子どもたちの歓声を聞くとロックスターになったと勘違いしちゃいますね(笑)」

駄菓子屋ROCKのこれからと仕事を楽しむ秘訣

ギターを弾く駄菓子屋ROCK谷口氏

谷口氏の根本にあるのはやはり「駄菓子屋」

「櫓や縁日など、すそ野は広げていっているけれど最終的にやりたいのはやはり駄菓子屋なんです。ではなぜ、すそ野を広げているかというと、駄菓子屋という文化を見てもらいたいから。

近年、海外からのインバウンドで日本の文化がフューチャーされていて、いずれ駄菓子ブームが来るかもしれない。そうしたらインバウンド需要を待っているだけでなくもっと自分から海外へ駄菓子を発信していきたい。僕が海外との懸け橋となり海外需要を獲得していきたいと考えています」

海外進出のほかにも今後は地方で同じ移動式駄菓子屋をやりたい人がいれば、積極的にフランチャイズ契約のようにノウハウを提供することも考えているという。最後に谷口氏に仕事を楽しむ秘訣を訊いた。

シンプルに好きなことをやるしかないでしょう。今の時代、さまざまな選択肢が増えてきていると思うんです。だから新卒で企業に就職して……というのが最良のゴールだとは限らない。もちろん、嫌な仕事でも無理してやらなければいけないというのもわかるんですが、それで体調でも崩してしまったら元も子もないですし。

自分が何が好きで何に興味があるのかというのを追求していって、その先に見えた物を仕事に選んだほうがいいと思います」

駄菓子屋の仕事について詳しく知るには職業ナビ!
▶︎「駄菓子屋の仕事」を詳しく見る

取材後記

実家に帰った際、幼少期通っていた駄菓子屋を巡ってきましたが、すべての店舗が無くなっていました。それ以前に子どもが外で遊んでいない、子どもの遊ぶ声が聞こえない。なんだか悲しい気持ちになりました。しかし、子どもの数が0になったわけではない。絶対に外で元気に遊びたい子だっているはずなんだ。

防犯上の理由から学校の校庭も放課後は施錠され、安全性の問題から公園はボール遊び禁止に。もちろんそれらにはしっかりと理由があるから仕方のないことだけれども、昔より少し窮屈になってしまった子どもの居場所。そんな子どもたちに谷口氏は元気で無邪気になれる場所を作ってあげているんだろうなと感じました。

谷口齋隆さんのご紹介

谷口齋隆(駄菓子屋ROCK)
谷口齋隆/駄菓子屋
1980年生まれ。高校を卒業後、さまざまな飲食店でアルバイトを経験。35歳までに駄菓子屋なると周りに話していたが、本当に35歳の誕生日直前に移動式駄菓子屋を開業させる。近所の団地などで出店しているほか、各種イベントやお祭りにも出店している。

この記事を書いたライター
ヒゲピカ

ヒゲピカ

長年のライター経験から裏打ちされた洞察力、ロックDJとしての審美眼を兼ねたお髭のマツオカと、元お笑い芸人ゆえの独創的な発想力を活かした切り口のインタビュー&ライティングに長けるハヤシモトケイスケによるユニット。この出鱈目な世の中で、真実に向かい吠える二匹の狼。

TOPへ戻る