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一本麻衣

一本麻衣

1987年生まれ。東京都在住。一橋大学社会学部卒業後、メガバンク、総合PR会社などを経て、2019年3月よりフリーランス。ビジネス〜暮らし全般の幅広いテーマで執筆中。インタビュー記事が得意。関心はキャリア、ジェンダー、サステナビリティなど。

2020年7月9日
ツワモノたちのセカンドキャリア

ジャーナリスト 堀潤(8bitNews代表)/誰も見たことのない世界を見せたいーー“内気な転校生”が「伝える仕事」のプロになるまで

ジャーナリスト堀潤/職業インタビュー

「伝える仕事」のプロとして、ジャーナリスト、キャスター、映画監督、NPO法人代表などの幅広い顔を持つ堀潤氏。

2020年3月には自身が監督を務めた映画『わたしは分断を許さない』を公開するなど、困難な状況にいる人々の生の声を伝えることに並々ならぬ情熱を注ぐ。

ところが子ども時代は、「レストランで注文できない」ほど、人と話すのが苦手だったという。

内気な少年はなぜ、人とのコミュニケーションが欠かせない「伝える仕事」を選んだのか。そしてNHKアナウンサーを経てジャーナリストの道を歩む今、時には危険な現場に足を運んでまでも、人々の声に耳を傾け続けるのはなぜなのか。堀氏のストーリーを聞いた。

将来の夢はウサギ…? 新しい環境に馴染めない日々

ジャーナリスト堀潤1/職業インタビュー

漫画や似顔絵を描くことで人と打ち解ける方法を徐々に身につけていった小学生時代

「子どもの頃は親の転勤で関西と関東を行ったり来たり。僕は常に転校生でした。学校にはなるべく行きたくなかったですね。家で本を読んだり、窓の外を眺めたりするのが好きな子どもでした」

テレビに映る堀氏は、“コミュニケーションのプロ”そのものだ。司会を務める朝の報道番組では、コメンテーターとのキャッチボールから核心に迫るコメントを引き出し、ジャーナリストとして足を運んだ先では、苦しい状況の中で生きる人々に寄り添い、丁寧に耳を傾ける。

そんな堀氏は、意外にも内気な子ども時代を過ごしたという。

「まず、制服が違うだけで注目の的ですから。言葉も関西と関東で違うので、普通に喋るだけでからかわれるんですよ。大阪から横浜に転校したときなんて、面白いこと言うんじゃないかと期待されて。『なんかギャグ言ってよ〜』と言われたので、『なんでやねん』って返したら、その日から僕のあだ名は『なんでやねん君』(笑)。

辛かったですね。小学生の頃は、将来の夢を『ウサギ』って書いてました。檻の中で過ごす姿に共感したんでしょうね」

関西に行けば「東京人」、東京に行けば「関西人」と言われ、どちらからもなかなか受けれられない。アイデンティティの置き場所が見つからないまま、ひっそりと目立たないように生活していた。

「でも、心の中では仲良くなりたいとか、少しは手柄を立てたい思いもあったんです」。堀氏はそう、当時の胸の内を明かす。

転機となる出会いは、堀氏が中学2年生のとき。担任の若い美術の先生は、何かと堀氏を気にかけてくれた。美術の時間には、授業中に描いた絵を全力で褒めてくれた。部活動では、テニス未経験にもかかわらず堀氏が入ったテニス部の顧問になり、笑われながらも一緒に練習してくれた。そのテニスチームは、横浜市の大会で2位になるほどの成長を遂げた。

堀氏はこの出会いをきっかけに徐々に自信を身につけ、コミュニケーションが全く取れなかった状態から少しずつ変化していった。

人を陥れるのも人だけど、人を支えるのも人

ジャーナリスト堀潤2/職業インタビュー

社会への不信感を高めていった学生時代、特にメディアが人に与える影響を強く意識するようになっていった

堀氏の内面的な成長とは対象的に、バブル崩壊直後の世の中は混沌としていた。

「高校、大学時代は、社会のあらゆるものに対して不信感を抱いていました。地下鉄サリン事件、阪神淡路大震災、子どもが子どもを殺す事件、学校によるいじめの隠蔽、湾岸戦争、イラク戦争……。そういう出来事をテレビで観ていたので、世の中にはほとんど期待していませんでしたね。

当時はインターネットが出て来たこともあり、テレビから流れてくる言葉は信用ならない。みんな嘘だらけなんだと思っていました」

世の中には期待しない。メディアの言葉は信用できないーー。冷めた目で社会を見つめていた青年は、なぜ自らメディアの「中」に入ることを選んだのだろうか?

大学時代に訪れた留学先のドイツで、堀氏はアジア人差別を受けていた。

「『汚いやつだな』みたいな目で見られるので、お昼は学校の近くの公園に行って、一人でパンをかじってました。そしたらある日、同じベンチの端っこにおばあさんが座っていて。僕はずっと誰とも話していなかったので、コミュニケーションを取ってみたいなと思ったんですね。それで片言のドイツ語で話しかけてみたら、片言のドイツ語で返ってきて。

ロシアのサンクトペテルブルクから来たというんですよ。僕が日本出身だと言うと、『美しい国だと聞いています。いつか行ってみたい』と」

堀氏のカバンの中には、紙ふうせんや折り紙が大量に入っていた。日本のお土産として学校の友達に渡すはずが、その機会を失っていたものだ。

ここぞと広げて渡してあげると、そのおばあさんはとても喜んでくれた。その嬉しそうな表情を見た堀氏の心にも、あたたかい火が灯った。

「そういう数少ない出会いを通じて、『人を陥れるのも人だけど、人を支えるのも人なんだな』って思ったんです。それなら、僕が世の中に対して抱いている不信感は、社会の『人』が変わらなければ、なくならないんじゃないかって」

また、当時の堀氏はナチスドイツのプロパガンダに強い関心を抱いていた。

どうしてこんなことが起きてしまったんだろうーー。調べると、芸術やスポーツ、放送、映画などを総動員して国民を洗脳したナチスドイツのやり方を、輸入・翻訳して戦争遂行の手段として用いたのが、当時の放送文化研究所(現NHK)だったという事実に行き着いた。

「自分の世の中に対する不信感の根源は、ここにあるんじゃないかと思いました。日本のメディアは戦前と戦後でプレーヤーが同じだし、メディアとしての戦争責任も取っていない。メディアのあり方から変えなければ、社会に対する不信感を拭えないなら、自分はど本丸のNHKに入ろう、と」

当時はテレビのアナログ放送が地上デジタル放送に切り替わるタイミングでもあった。双方向型の発信が可能になれば、テレビを通じて視聴者と意見を交わすこともできる。

これを機に、メディアの一方通行な発信の体質を変えることができるかもしれない。堀氏はそれを希望と捉え、NHKの扉を叩いた。

“現場主義”を徹底。NHK改革の最前線へ

ジャーナリスト堀潤3/職業インタビュー

NHKの就職面接でも「日本のメディアを変えたい」と真っ向から自分の気持ちを伝え、採用された

堀氏のNHKでの仕事は、常に「提案型」だった。転校生時代に苦労しながら身につけた、周囲と衝突せずにコミュニケーションを取るスキルが、組織の中で立ち回る際に大いに役立ったのだ。

「『この企画書書かせてください』とか『こっちの方がいいんじゃないですか』とか、どんどん言ってましたね。アナウンサーなのにいつも現場に行っているし、ディレクターの企画会議にもいる。いつの間にか、新番組ばかりを任されるようになりました」

NHKの不祥事が相次いで発覚したときには、局内の誰に許可を取るでもなく、自分の番組で「勝手に謝る」ことを率先してやった。

「『いや~今日も不祥事のニュースが出てしまいまして。本当に申し訳ないです!情けない。何やってるんですかね?』とかね(笑)。普通の謝罪って、形式的に謝って終わりじゃないですか。でも僕は双方向でやりたい気持ちがあったので、視聴者と本音を介したかった。怒られるかなと思ったんですけど、先輩たちも『いいぞ!もっとやれ!』と応援してくれたんですよね」

ジャーナリスト堀潤4/職業インタビュー

NHK改革に奔走するニュースキャスター時代、担当した番組はほとんどが新番組だった

血気盛んな堀氏は、NHKの信頼回復という命題を背負い始まった『ニュースウォッチ9』の初代キャスターに若くして抜擢される。

堀氏によると、そこはまさに“NHK改革のど本丸”。7時のニュースが「政府は〜」といった“お上の言葉”を伝えるのならば、『ニュースウォッチ9』は現場の声を伝えることにこだわった。

7時のニュースが白と伝えることを、『ニュースウォッチ9』では黒と言うーー。その違いを象徴する出来事があった。2007年、宝塚市で倉庫を違法に改造して営業していたカラオケ店で火災が発生し、高校生を含む2名が亡くなった事件の報道だ。

「消防や警察は最初、『倉庫は査察の対象外だから、改造されていたとは知らなかった』と発表していたんです。でも現場に行ってみると、幹線道路沿いの大きな看板に『カラオケ店こちら』って書いてあるんですよ。こんなの道路通ってたら知らないわけないんです。

いろいろ聞き込んでみたら、住民の方が『地元の消防署員が忘年会で使ってた』と教えてくれて。さらに取材を重ねて消防に行くと、広報の方が最初は白を切っていたのに、『私の責任で言います。実は知っていました』と話してくれたんです」

7時のニュースでは、「警察消防は『知らなかった』と発表しており、現在店主を業務上過失致死傷害の疑いで捜査しています」と伝えた。しかし『ニュースウォッチ9』では「消防は知っていました」と、番組の冒頭から広報の方のインタビューを流した。局内は騒然とした。

「勝ったな、と思いましたね(笑)。放送内容が事前に明らかになると潰されちゃうので、原稿には全部パスワードをかけて、部外から見られないようにしていました。そういうことをやる番組だったんですよね」

『ニュースウォッチ9』はプライムタイムで初めて民法のニュース番組を抜き、視聴率で一位になった。その後も堀氏は、NHK初となるTwitter連動型のニュース番組や、若手論客だけの討論番組『日本のジレンマ』の立ち上げなどに携わり、常に改革の最前線にいた。

NHK入局から10年。退社のきっかけは、東日本大震災で発生した福島第一原子力発電所事故だった。

「あの事故をきっかけに、NHKの報道は安全運転になっていきました。でも僕は、視聴者と双方向型のメディアの仕組みをもっと作りたかった。それだけです」

メディアはメディア人のためにあるんじゃない

ジャーナリスト堀潤5/職業インタビュー

現場に行ってみないと聞けない「小さな声」に触れることで、堀さん自身も新しい気づきをがあるという

独立し、ジャーナリストとして活動する今も、堀氏のミッションは変わらない。

「大学生のときに思っていたことを、今もそのままやってるだけなんです。僕はメディア本来の役割を果たしたい。根底にあるのはその思いです」

堀氏の言う、メディア本来の役割とは?

「メディアって、誰のためにあると思いますか? メディア人が伝えたいことを出すためにあるんじゃないんです。『これを伝えてほしい』っていう人たちに、発信の場を作るためにあるんですよ。自分の伝えたいことの『』を埋めてくれる人を探すのが取材だと思ったら、それは違います」

人々の生活が多様化する中、社会は「堀さん、なんでこれ伝えてくれないんですか?」という声に満ちていると、堀氏は語る。自分のLINE IDをSNS上に解放し、報道を望む人の声を直接受け止めて現場に向かっているのも、堀氏の考えに照らせば当たり前のことだ。

ジャーナリスト堀潤6/職業インタビュー

多忙なスケジュールの合間を縫っては国内海外問わず、カメラを片手に取材に向かう日々だ

そんな堀氏には、ジャーナリストとして日本や世界を飛び回る中で抱くようになった、ある危機感がある。

経済に負けてはいけない、ということですね。例えば個人情報一つとっても、GoogleもAmazonも便利だから(個人情報を取られても)今更しょうがないじゃん、とか。SNS投稿の誹謗中傷や批判に問題があるから表現の自由は多少制限されてもいいじゃん、とか。国が安全で平和であるためにはある程度の権力が政府に必要だよね、とか。

『生活が豊かになるなら、自分たちの権利を犠牲にしても構わない』という価値観が当たり前になっていくのがすごく怖いです」

現に香港では、経済的な豊かさと引き換えに失ったものを取り戻すべく、若者たちが必死に抵抗している。

「奪われて初めてわかることなんです。『豊かになるんだったらしょうがない』の、その『しょうがない』の部分に、いつ自分たちがなってもおかしくない。それを日本で伝えないといけないと思っています」

誰も見たことのない世界を伝える“楽しさ”

ジャーナリスト堀潤7/職業インタビュー

発信したい人たちのところへ行き発信する場を設けることが堀さんの、そしてメディアの役割だ

3月に公開された、堀氏が監督を務めた映画『わたしは分断を許さない』には、香港デモの最前線でガスマスクを被って取材を続ける堀氏の姿もおさめられている。

「伝える仕事」は、現場に足を運ばなければ始まらない。そのため、「危険で怖い仕事」といったイメージを持つ人も少なくない。しかし堀氏は、自らの仕事についてこう語る。

『まだ誰も見たことのない世界を見せてあげられる』楽しさがありますね。子どもの頃からそうですけど、誰も知らないことを『ねぇねぇ、知ってる?』って言うのって、ワクワクしますよね?

転校生だった頃、周囲の友達は常に自分に新鮮な情報を求めていました。それに応えてあげたい気持ちは、当時からありましたね」

それでも、悲惨な現実を目の前に無力感を抱いてしまうことはないのだろうか?

「映画を作りながら、落ち込むことはたくさんありましたよ。何でこんなに悲しいことが起きるんだろうって。先に言ったように、僕は世の中に過度な期待はしていません。でも、それだと悲しすぎるので、『本当にいいことがあるなら見てみたい』っていう気持ちもあるんです。辛い現実は伝えなければいけない。でも、伝えるべきことはそれだけじゃない。

取材していると、世の中意外に捨てたもんじゃないなって日々感じるんです。僕が現場に行くのは、僕自身が元気をもらいたいからなのかもしれませんね」

災害は立て続けに発生し、感染症は急速に拡大し、SNS上では誹謗中傷が飛び交う。毎日新しいことが起きる世の中で、堀氏の仕事に終わりはない。

かつて周囲に馴染めず苦しんだ転校生は今、困難を抱え生きる人々のもとに迷いなく飛び込み、その声を私たちに伝え続けている。

堀潤/オンラインインタビュー

オンラインで行ったインタビュー。的確に具体的なエピソードも交えて話していただき、さすが取材のプロでした!

ジャーナリストの仕事について詳しく知るには職業ナビ!
▶︎「ジャーナリストの仕事」を詳しく見る

取材後記

堀さんは現在、映画『わたしは分断を許さない』の劇場公開で全国各地に奔走しているとのことです。「メディアはメディア人のためにあるんじゃないーー」。書く仕事をする者として、心に刻みたいと思いました。

堀さんからのビデオメッセージ


@ジョイキャリア インタビューチャンネル

堀潤さんのご紹介

堀潤/ジャーナリスト・キャスター

堀 潤/ジャーナリスト・キャスター

1977年生まれ。
NPO法人8bitNews代表理事/株式会社GARDEN代表。
元NHKアナウンサー、2001年NHK入局。「ニュースウォッチ9」リポーター、「Bizスポ」キャスター。
2012年UCLA客員研究員、日米の原発メルトダウン事故を追ったドキュメンタリー映画「変身 Metamorphosis」制作。
2013年NHKを退局。NPO法人「8bitNews」代表。
2016年株式会社GARDEN設立。
2020年3月映画「わたしは分断を許さない」(監督・撮影・編集・ナレーション)公開。
出演中の番組:TOKYO MX「モーニングCROSS」キャスター、J-WAVE「JAM THE WORLD」ニュース・スーパーバイザー、ABEMA TV「ABEMA Prime」コメンテーター

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1987年生まれ。東京都在住。一橋大学社会学部卒業後、メガバンク、総合PR会社などを経て、2019年3月よりフリーランス。ビジネス〜暮らし全般の幅広いテーマで執筆中。インタビュー記事が得意。関心はキャリア、ジェンダー、サステナビリティなど。

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