この記事を書いたライター

笹谷 淳介

笹谷 淳介

鳥取県出身のフリーライター&エディター。ファッション誌の編集部を経て現在に至る。主にファッション・音楽・カルチャー系の紙媒体・ウェブメディアで活動中。音楽と古着がとにかく好きで休日は古着屋かレコード屋にいる可能性大。最近の趣味は町中華で美味しい炒飯を食べること。

2021年8月9日
ミレニアルズワーク〜未来と直面する世代のワークスタイル

山岳カメラマン 中島健郎(石井スポーツ所属)/ 山でしか見れない景色を届ける若きクライマー

山岳カメラマン中島健郎インタビュー(タイトルイメージ)

登山番組を観ているとき、登山をする主役よりもその横でカメラを持っているカメラマンに目を奪われることはないだろうか。標高何千mの山を登るだけでも過酷なはずなのに、撮影までこなし、被写体を捉える。この辛さはきっと一般の私たちには想像できない。 今回お話を聞いたのは、山岳カメラマンとして活躍する中島健郎氏。30代にして登山のアカデミー賞といわれる「ピオレドール賞」を2度も受賞した優秀な登山家でもある彼に幼少期の記憶から、山岳カメラマンになったきっかけ、そして仕事に対する思いなどを聞いた。

中島健郎さんについて

※メッセージ動画の下にインタビュー記事が続きます。

プロフィール

中島健郎(Kenro Nakajima) 1984年生まれ。奈良県出身。石井スポーツ所属 関西学院大学入学後、山岳部に所属。在学中に3度の海外遠征を経験し、未踏峰2座の登頂に成功。卒業後は海外トレッキングや登山のツアーガイドを務めながら山岳カメラマンとしての活動をスタート。平出和也氏とともに無酸素・未踏ルートで挑戦したシスパーレ(7,611m/2017年)、ラカポシ(7,788m/2019年)の登頂で登山界のアカデミー賞と称されるピオレドール賞を2度受賞。

メッセージ動画


YouTube職業インタビューバックナンバー
@ジョイキャリア インタビューチャンネル

父が見た世界を見てみたいと思った

山岳カメラマン中島健郎インタビュー風景1

幼少期から自然が好きだったと話す、中島氏

中島氏の生まれは奈良県。自宅の裏には山があり、自然に溢れる土地に生まれた。休日には家族で山へ登り、中島氏自身も自然が好きな子どもだったと話す。

だが中島氏が5歳のとき父親が亡くなったことをきっかけに、祖母のいる大阪に引っ越すことに。

「幼少期から自然に囲まれるのが好きだったんだと思います。大阪に引っ越してからは、山に登る機会もなくなりましたが、父親が所属していたワンダーフォーゲル部の仲間たちと年に一度、夏に行くキャンプが楽しくて仕方なかったですね。

家には父の登山道具もありましたし、幼いながら『この道具はどうやって使うのだろう』と興味を持っていたのを覚えています」

父親の影響で漠然と山に興味をもった中島氏だが、小学時代は空手、中学時代はサッカー、高校時代は帰宅部と山とは無縁な環境で成長していく。しかし、胸の中には常にあるひとつの思いがあった。それは「父親が見た世界を見てみたい」ということだ。

「山に登ってみたいという気持ちはあったんですが、小中高と山岳部はなかったし、せっかくやるのであれば、ちゃんとした環境で学んでみたかったんです。そのきっかけが高校まではなかった。でもようやく大学で山岳部に出合うんです」

大学へ進学。人生を左右する山岳部との出合い

山岳カメラマン中島健郎インタビュー風景2

大学入学をきっかけに山岳部へ入部する

理系大学の理工学部へ進学した中島氏。「でも僕は理工学部卒業より、山岳部卒業と言った方がいいかもしれません(笑)」と冗談まじりに話す。それほど彼にとって、山岳部との出合いは大きかった。

山への憧れを抱いていた中島氏にとって、山岳部での活動はどれもが新鮮だったという。

「年配のOBの方たちがいていろいろアドバイスをくれましたけど、部員は少なかった。でもその分自由に活動ができたんです。そのどれもが新鮮かつ大変でした。

山岳部に入ったことでたくさんのことを学びました。これまでクライミングやロープを使って山を登る経験がなかったのですが、山岳部で初めて使いロープを使えばこんなところまで登れるのかと感激しました」

山岳部なら山の魅力を実際に肌で感じることができる。実際には部活ではどんな活動を行うのだろうか。

山岳部は1年を通してスケジュールが決まっており、春夏秋冬と合宿が行われる。そのスケジュールに合わせてトレーニングをしていくのが一般的な活動内容だ。

しかし、中島氏とのキャンパスは部活を行うキャンパスから離れていたため、個人でトレーニングをすることが多かったという。

「トレーニングはひとりで走ったりすることが多かったですね。だからあんまり部活という感じもなかったんですけど、一つひとつこなしていくとできることも増えていくんですよね。だから自信がついていきました。

そのなかで海外への憧れというか、漠然と海外の山に興味が沸いた。子どものころから冒険が好きだったんですよね。知らないところに行ってみたくなった」

海外遠征で得た山登りの自信

山岳カメラマン中島健郎インタビュー風景3

大学時代、未踏峰へ挑戦した

山岳部での活動のなかで芽生えた、海外への憧れ。そんなときに中島氏に他大学と合同で海外に行ってみないかという誘いが舞い込んできた。

「僕がいた部は、過去には海外遠征を行っていたこともあったのですが、在籍しているときは弱小で海外への挑戦はなかなか難しいものがあった。無理だろうと思っていたところにたまたま合同で遠征に行かないかという話が出てきたんです。

やっぱりひとつの大学だと後輩を指導するだけでも時間がかかりますし、僕の部はそもそも人数が少ないので遠征は難しいのですが、ほかの大学と合同で主将クラスが集まれば行けるだろうと。海外の山へ挑戦するチャンスが巡ってきたんです」

合同での海外遠征の目的地は、ネパール・ヒマラヤ。「どうせ行くなら自分たちで作り上げる登山をしたい」という思いから未踏峰のルートを登ることに決めた

実際に登ってみて感じたのは、「登れる」という手応え。もちろん日本と海外の山ではクレバス(氷河や雪渓などに形成された深い割れ目)の大きさなど異なる点はあるが、厳しいトレーニングの積み重ねが自信につながっていた。とはいえ標高の問題はいくらトレーニングを積んでいても回避できなかったという。

山を登ったときに確かな手応えと同時に僕自身が他の人より高所に弱いということを改めて感じました。トレーニングの一環で富士山を登ったときにも僕だけ体調が悪くなってしまって、本当にヒマラヤを登れるのかという心配しました。平地では比較的元気なタイプなんですけど、高いところに上がっていくといきなりガクンとくるんです。

それでも大丈夫だろうとヒマラヤにチャレンジしたのですが、案の定、体調が悪くなってしまって……この調子がいつまで続くのかと思いながらも頂上まで登ることができました」

初めての挑戦では苦労したことも多かったと話す中島氏だが、この経験により山登りへの自信がさらについた。日本でちゃんとトレーニングを行っていれば、自分でもできる。この原体験がいまの中島氏のキャリアに大きくつながっているのかもしれない。

安定した就職より「好き」を選んだ進路

山岳カメラマン中島健郎インタビュー風景4

大学卒業後は消防士になろうと思っていた

山岳部に入部してからは山登りを中心に生活をしていた中島氏だが、就職活動の時期が訪れる。

「合宿や遠征に行くことが多かったので、就職活動を頑張った記憶はあまりないですね。ただ、漠然と消防士になろうと思っていたんです。学生のときにレスキュー隊に助けられたことがあって、人を助ける仕事ってとてもいいなと思ったんです。だから一応、消防士の試験の勉強はしていました」

地元の消防士の試験を受けた中島氏は、見事に内定をもらうことができた。最後の遠征を終えた後、地元に戻り消防士としてのキャリアをスタートさせようと思っていたところに、またも海外遠征の誘いがかかる。この海外遠征の話が、山岳カメラマンという現在の職に就く大きな分岐点になった。

声がかかったのは社会人の山岳会が主催する海外遠征。中島氏が経験した山よりも一段階レベルがアップした7,000mの未踏峰を登るという内容は、非常に魅力的な話だった。

「就職をするとこの遠征には行けないし、親は僕が地元で消防士になると思っているし……。当時はすごく悩みました。結局、消防士の内定を断って遠征に行くことにしたんです。だからこそ今がある。本当に人生っておもしろいですよね」

就職の安定よりも山の魅力をとった中島氏。この選択を機に本格的に山というフィールドで生きていくことになる。

山岳カメラマンとしてのキャリアがスタート

消防士の内定を断り、遠征を選んだ中島氏は、どのようにして現在の職に就いたのだろうか。遠征から帰ってきた中島氏が思ったのは「やっぱり山で働きたい」ということだった。

山に関係する就職先を探すなかで、見つけたのがツアーガイドやトレッキングガイドをする会社。彼の山でのキャリアはここからスタートする。

小さな会社ではあったが、ガイドのほかに登山時に使用する衛星電話の貸し出しや、山の撮影の手配、日本人で唯一の8,000m峰全14座の登頂者である竹内洋岳氏の事務局など、いわゆる海外の登山に関する「何でも屋さん」だ。

そんな魅力が詰まった会社で、竹内氏から「記録を残してほしいと」と映像カメラマンとしての依頼を受けた

山岳カメラマン中島健郎インタビュー風景5

登山家 竹内洋岳氏の誘いで、カメラマンのキャリアがスタート

「山岳部のときから山で写真を撮るのが好きでした。父親のスチールカメラがあったので、それで撮っていたんです。竹内さんから誘われた当時は、映像を撮ったことはなかったものの、「写真とそんなに変わらないよ」という言葉でやってみることになったんです。

僕としては仕事で高い山に登れるのは嬉しいことですが、果たして優秀な登山家の竹内さんについて登っていけるのかという不安もありました。けれど、チャンスをいただけたので初めてビデオカメラを持って登山をしたんです

竹内氏を撮影して、山へ向かう人や景色を撮影することの楽しさを感じた。必死に山に挑む姿は普段見ることのできないものであり、その表情を捉えるおもしろさがあった。働いていた会社が「イッテQ!」などの撮影手配を行っていたこともあり、中島氏はそれからさまざまな番組で山岳カメラマンとして活躍をしていく。

「勤めていた会社は、ツアーガイドやトレッキングガイドの他に撮影の手配をする会社でもありました。でも撮影をするにしても補助の補助的なポジション。だからちゃんとカメラマンとして働くのであれば、会社を辞めなきゃいけないと思い独立をしました。

独立してすぐのときは知り合いのカメラマンについたりもしていましたが、よく言われる下積み10年のような環境は自分には難しかった。そもそも始めるのも年齢的に遅かったし、そんな時間はないなって。いまはカメラも小型化していますし、自分の登山をしながら小型カメラで撮影するスタイルを確立していきました」

山岳カメラマン中島健郎さんイメージ写真1

「イッテQ!」の撮影現場で仕事をする中島氏

過酷な仕事ながらも、山岳カメラマンという仕事に楽しさを見出した中島氏。そんな彼はこの後、30代にして登山のアカデミー賞といわれる「ピオレドール賞」を2度も受賞している。

2度のピオレドール賞を受賞 平出和也氏との出会い

山岳カメラマン中島健郎さんイメージ写真2

平出和也氏(左)とともに無酸素・未踏ルートで挑戦したシスパーレでの一枚

山岳カメラマンとして本格的に活動する傍らで、中島氏は「登山界のアカデミー賞」と称される、「ピオレドール賞」を2018年と2020年に受賞している。この賞は優秀な登山家に贈られる国際的な賞であり、非常に名誉あることだ。

この賞を受賞した背景には同じく山岳カメラマンとして活躍し、ともに「ピオレドール賞」を2度獲得した平出和也氏との出会いが大きく関係しているという。

「平出さんとは番組がきっかけで出会いました。東南アジア最高峰のカカボラジ山を一緒に登頂したんです。2か月間ほど一緒に行動をして、意気投合。この人とはおもしろい登山ができそうだと思いました。

彼との出会いは本当に大きいです。海外経験も豊富で学ぶことが多かった。彼と一緒にロープを使えば、よりステップアップしたクライミングができると思いました。自分が登れない場所にも登れると思わせてくれる非常に優れたクライマーであり山岳カメラマンです」

よきパートナーと出会い、賞まで獲得した中島氏だが、なぜ彼らが「ピオレドール賞」を2度も受賞することができたのだろうか。中島氏いわく、平出氏とふたりでお金をかけず、新ルートを開拓したことに理由があるようだ。

「正直、『登山界のアカデミー賞』と言われていますけど、オリンピックや本当のアカデミー賞のように登山の世界には明確な基準がありません。ただ、審査員の方々は、写真や動画記録を読めば、その登山がどういう内容だったかは理解ができる。

そこで未知への探求じゃないですけど、新しいルートを開拓したり、いままで未踏だった山を登るだとか、そういったところで評価されているんですよね。

そもそも賞賛を与えられるものではないとも思うのですが、平出さんとこの賞が取れたことは素直に嬉しかったですね。」

この「ピオレドール賞」の受賞は「山岳カメラマンとして活動しながら、自分の登山をする」という独立後に確立した中島氏のスタイルが間違っていなかったと証明することができた瞬間でもあるのだ。

家族との時間と今後の目標

山岳カメラマン中島健郎インタビュー風景6

未踏のルートに挑戦したい

山岳カメラマンは危険と隣り合わせの仕事でもある。中島氏の仕事について家族はどう思っているのだろうか。

「命に関わる危険な環境で仕事をしているので、不安はあると思いますがいつも応援しながら送り出してくれています。僕にとって家族の存在はとても大きく大切なものです。帰りを待つ妻や子どもがいるからこそ集中して仕事に向き合うことができ、なんとしても帰るという意識を保てるのだと思います」

中島氏はコロナ禍になってから、家族と過ごす時間が増えたという。山というフィールドで戦い続ける中島氏の家族時間にも自然はかかせない。

「これまでは国内外の山へ行っていることが多く、家族の時間をあまり持てていなかったのですが、新型コロナウイルスの影響で初めてゆっくり家族と過ごす時間を持てているかもしれません。

休みの日にはハイキングやキャンプに行くことが多く、結局自然の中で遊んでいます。自然から学ぶことはたくさんあるので、子どもたちと一緒に新しい発見を探し続けていきたいです」

家族の話から父親としての一面も垣間見られた中島氏。最後の質問として山岳カメラマンとしてそしてクライマーとしての今後の目標、展望を尋ねた。

「平出さんとのプロジェクトである、パキスタン最高峰『K2』の未踏ルートから登る挑戦を実現したいです。いまは、コロナ禍の状況もあってなかなかチャレンジできていませんが、この挑戦は来年、再来年には実現したいと思っています。

また、山岳カメラマンとしてはこれからも僕にしか撮影できない景色や人物を撮っていきたいですね」

山という過酷なフィールドで、自身の仕事を楽しむ中島氏。彼がこれからどんな景色を私たちに見せてくれるのか、今後も山岳カメラマン中島健郎から目が離せない。

中島氏のような「山岳カメラマン」という仕事に興味を持った方は、ジョイキャリア職業ナビで調べてみるといいだろう。「山岳カメラマン」に必要な能力やスキル・適正など、さまざまな角度から「山岳カメラマン」という職業について解説されている。それらも参考にしながら、ぜひ自身のキャリア選択に活かしていただきたい。

取材後記

いままでは、なんの気もなしに観ていた「イッテQ!」などの登山企画。主役となる演者にばかり目を取られていたが、考えてみるとあの過酷な現場にはカメラマンやスタッフがいる。

そんな過酷な現場で活躍する中島氏のお話は、どれもが新鮮かつ私の見たことがない世界でのお話でインタビューの時間はあっという間に過ぎていった。

考えるだけでも過酷なお仕事なのに、私が「いまのお仕事は楽しいですか?」と問うと笑顔で「楽しいですよ」と答えた中島氏。その笑顔は自然好き・冒険好きの少年のようで、本当に山が好きなのだと感じた。

おそらくこのインタビューがなければ触れることのなかった職業である山岳カメラマン。これから登山企画を観るモチベーションも変わってくると思う。

ジョイキャリアでのプロモーションをご検討の方へ

ジョイキャリア企業プロモーションのご案内

この記事を読んだあなたにおすすめの記事

この記事を書いたライター
笹谷 淳介

笹谷 淳介

鳥取県出身のフリーライター&エディター。ファッション誌の編集部を経て現在に至る。主にファッション・音楽・カルチャー系の紙媒体・ウェブメディアで活動中。音楽と古着がとにかく好きで休日は古着屋かレコード屋にいる可能性大。最近の趣味は町中華で美味しい炒飯を食べること。

TOPへ戻る