この記事を書いたライター

笹谷 淳介

笹谷 淳介

鳥取県出身のフリーライター&エディター。ファッション誌の編集部を経て現在に至る。主にファッション・音楽・カルチャー系の紙媒体・ウェブメディアで活動中。音楽と古着がとにかく好きで休日は古着屋かレコード屋にいる可能性大。最近の趣味は町中華で美味しい炒飯を食べること。

2018年9月6日
日本の社窓から

経営者 浜野慶一(浜野製作所)/日本の社窓から vol.1

“町工場”と聞いて皆さんはどんな印象を持たれるだろう。普段からファッションやカルチャー系の仕事をすることが多い私は、池井戸潤作品のような場面を想像してしまう。資金繰りに奔走し、トラブルを抱え、汗を垂らし必死になって仕事をする。結果池井戸作品はハッピーエンドで終わるのだが、“町工場”と聞くとそんなマイナスな部分を連想してしまう。しかし今回お話を聞いた浜野製作所は私のイメージを覆す、新しい“町工場”の形を体現した会社だった。今回はカラフルな社屋や次世代に技術を残していく取り組みなど新しいことに挑戦し続ける浜野製作所について社長である浜野慶一さんにお話を聞いた。

親子2代で繋ぐ町工場のカタチ

親子2代で繋ぐ町工場のカタチ

29歳の時に父から会社を継いだ

創業41年になる浜野製作所は、金属の部品加工をしている会社。先代の父親から会社を継いだのは浜野さんが29歳のときだった。

海外での部品加工が主流となっている中で、2000年頃から多品種向けの部品や削りでの部品加工、装置開発や設計など新しい分野への挑戦を続け、今まで会社を大きくしてきた。

現在社員は50名。お揃いのユニフォームを着た社員さんの仕事姿は普段デスクワークしかしていない自分にとってはとても新鮮だ。

女性社員の方も多く、事務だけでなく、職人としても女性が働いている姿をみると、自分が思っていたイメージとは全然違う場所なんだなと感じた。

古くから使われる機械

古くから使われる機械

今でこそ、PCや3Dプリンターが並ぶ浜野製作所だが、古くから使われる機械もある。それは一台1万円で購入した「蹴とばし」という機械。プレスするために使われるこの機械は創業当時から使われていたもの。

「昔はこの機械だけで仕事していた時期もあったんですよ」

と話す浜野さん。苦しい時代をともにした機械を今も大事にしているからこそ、今の会社の成長があるのかもしれない。

最大のデメリットを最大のメリットに

最大のデメリットを最大のメリットに

地代と最低賃金というデメリットをどうするか?

順調に見える浜野製作所だが、町工場は年々減っていく一方。最盛期には墨田区だけでも9,000軒を超える町工場があったのだが、海外への拠点の移動の影響で現在では2,100軒まで減少した。

「同じ業界のメンバーとともに協力をしていかないともの作りの力がなくなってしまう」

そんな思いから作られたのが「ガレージスミダ」というスペースだ。

「土地代や最低賃金が一番高い、何かとお金のかかる東京という土地はもの作りには一番適してないのかもしれない」

と話す浜野さんだが、この最大のデメリットかと思う状況を最大のメリットに変えようとしている。

おしゃれなフリースペース

おしゃれなフリースペース

海外の生産拠点と同じことをしていても勝ち目がない。ならどうするのか、組方や目線を変えることでデメリットもメリットに変えることができるのではないか。

そんな発想から生まれた「ガレージスミダ」にはベンチャー企業がオフィスを構えることのできるスペースや情報発信基地としての役割があるようだ。

学歴社会だった昔に比べて、今は自由な生き方をする若者が増えている。でも若い子たちにはもの作りの技術はないじゃないですか。そういった子たちの一翼を担えるんじゃないかなと思って」

確かに東京はお金がかかる場所かもしれないが、情報は一番先に入ってくる。中小企業でも新しい市場を生み出すことができるはず。町工場がなくなっていく状況の中こういった浜野製作所の取り組みは技術を次世代に残すための新しいモデルケースになっていると言えるだろう。

もともと会社を継ぐ気はなかった

もともと会社を継ぐ気はなかった

内定に断りを入れて修行へ

親子2代で大きくした会社だが、浜野さんはもともと継ぐ気はなかったという。

「大学4年生のときは普通に就職活動をしていて、内定ももらっていました」

そんな状況の中で、父親と二人で飲んだことが浜野さんの人生を大きく変えることになった。

家族経営でやってきた会社は、会議をするのも家の中、両親の喧嘩とも思える話し合いを幼少期からみてきた浜野さんはこの仕事のことをする両親のことを尊敬できなかった。

「小さい頃は、この人たちは嫌々仕事をやっているんだなって思っていました。だから尊敬できなくて…。」

しかし父親が飲みの席で語った言葉を聞き後悔した。

父親がこの仕事のことを誇り高い仕事と言ったんです。じゃあ誰かが継がなきゃいけないと思って」

そこから浜野さんは内定をもらっている会社に断りを入れて、板橋の工場へ修行に出ることを決め、浜野さんの職人人生が始まった。

おもちゃ箱のような場所を作りたい

おもちゃ箱のような場所を作りたい

町工場の薄暗いイメージを払拭する空間づくり

浜野製作所を語る上で欠かせないのはやはりこのカラフルな社屋だろう。

今でこそ50名の社員を抱える会社となった浜野製作所だが、両親が亡くなってからの数年間は浜野さんが一人で仕事をしている時期があった。

人手が足りなくなり、ハローワークに求人を出したところ、1年2ヶ月の間連絡はなし。やっと連絡がきたかと思うと、68歳の未経験者の紹介だった。

面接をすることになり、工場まで来てもらったのだが、外観や工場をみて結果として面接を受けずに帰ってしまった

「自分は当たり前だと思っていた場所は外の人から見たら夢も希望も将来もない場所だと思われてしまったんだと思いました」

そこから町工場の薄暗いイメージを打開するために建て替えるきっかけがあればおもちゃ箱のようなワクワクしたものにしたいと思うようになり、このシャッターの向こうではどんなものが作られているのだろう。

覗いてみていと思われるような社屋を作る。そんな気持ちを設計士の方に伝え完成したのが今のカラフルな社屋なのだ。

「ありがとう」という言葉がやりがいに

「ありがとう」という言葉がやりがいに

世の中のためになる設計を行なう

まだ会社が小さい頃、ある車椅子の女の子の父親から依頼を受けたことがあった。どうしても娘を歩かせたいという強い父親の思いに答えようと“ある物”を作り納品。

「これをきっかけに自分たちでも世の中のためになるのかもしれないと思ったんです。自社で設計をやろう思った心の転換期になっていますね」

と浜野さんは話す。

その時に言われた「ありがとう」という言葉が今でも浜野さんの仕事のやりがいに繋がっている。

「一生懸命仕事をしているので、「ありがとう」という言葉はグサっと心にくるものがありますよね」

と笑顔を浮かべながら話してくれた。

存在価値のある町工場へ

存在価値のある町工場へ

『下町ロケット』的な夢も描く町工場

新しい挑戦をし続ける浜野製作所。最後にこれからビジョンについて聞いた。

「部品加工するだけでなく長年培ってきた技術や経験を思いや志を次の世代に伝わって、世の中や社会のためになるようなことができればいいですね。

社会に対する存在価値のある町工場になりたいなと。そのために今無き道を一生懸命に土を耕して、タネをまいて、みんなで少しずつ、道路整備をしているそんな状況ですね、いまは」。

取材後記

普段関わることの少ない町工場で働く人たち。自分の抱いていたイメージ(池井戸潤作品『下町ロケット』的な)はどこにもなく常に新しいことへ挑戦する姿勢は私も見習わなければならないと感じました。

気さくにお話ししていただけて、インタビューも捗りました! ワクワクする町工場の姿はこれからの未来へつながるものだなと感じました。

インフォメーション

浜野製作所
〒131-0041
東京都墨田区八広4-39-7
TEL:03-5631-9111
FAX:03-5631-9112
HP:http://hamano-products.co.jp/

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笹谷 淳介

笹谷 淳介

鳥取県出身のフリーライター&エディター。ファッション誌の編集部を経て現在に至る。主にファッション・音楽・カルチャー系の紙媒体・ウェブメディアで活動中。音楽と古着がとにかく好きで休日は古着屋かレコード屋にいる可能性大。最近の趣味は町中華で美味しい炒飯を食べること。

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